2012-01-01から1年間の記事一覧
「蔵書整理プロジェクト十勝」のボランティアのお一人で、『辛夷』同人の内田美佐子さんから、神谷忠孝氏の講演会の記録が届きました。 思いがけないこと! チラシやその時の新聞記事も一緒です。さすがですねえ。ありがとうございます!!記録は断片的と言…
昨夜偶然見たテレビ。「その後」をテーマにちょうど原発の最終処分場を取材していた。フィンランドの地中奥深く、昔図鑑で見た蟻の生活を思い出したけれど、6キロにわたるジグザグの地下通路を経て、そこにたどり着く。 広大な場所に巨大な筒がいくつも埋め…
去年の夏、草森紳一写真展「本は崩れず」でお世話になった 森岡書店の森岡さんから久しぶりにお電話。 ぼ〜よ〜として、ていねいな彼の声を聞くとなぜかホッとしますね。『フロント』について草森さんが書いた原稿を読みたいが、どこに掲載されているかご存…
去年の3月、あれだけのことが起こった。そして今も問題は継続中だというのに、原発が再稼働されると言う。 最近ニュースを見るのがほとほといやだ。なるほど合点、ということがなく、わけがわからない。そして気持ちが沈む。 先週の韓国の歴史ドラマ『イ・サ…
草森紳一の蔵書寄贈先である帯広大谷短期大学の田中厚一教授から うれしいメールが届きました。6月8日、神谷忠孝氏(北海道大学名誉教授、北海道立文学館理事長)による講演が大学で開催され、蔵書整理プロジェクト十勝の皆さんはもちろん多くの参加者があり…
前回の「心中いかばかりか〜」に付け加えるならば、 草森さんにとってアトムと寅さんの二つだけを採りあげて日本的壮大なるものを語るのはあまりにフツー、無理があったろう。 「それならやらないよ」とおっしゃったはずだ。 きっと四方田さんもあまり興味を…
アレレ? 草森さんの著作の数を調べていたとき、回想集『草森紳一が、いた。』の巻末に掲載した著作一覧の数と、 HP「白玉楼中の人」の著作目録の数が合わないことに気付いた。 校正ミスなら困った!と思いつつ、付け合わせをしてみる。 HPの方に訳書『史記…
久々の書き出し劇場は、『ユリイカ』の1990年4月号から92年6月号まで連載された『食客風雲録』です。 ともに青土社から1997年11月に出ています。装丁は南伸坊氏。 ご本人によれば「雑誌発表時は、スケール比較のため中国と日本と交互に執筆。単行本では分冊…
いつそんな話をしたのか、覚えていない。 その後、私にそのような事態が起こるとはよもや考えてもいない。 しかし、一家の大黒柱の男が亡くなるということは、その家族、親族に さまざまな問題を引き起こすことになるらしい。 もうすぐ10年になるのかとあ…
門前仲町にあった草森蔵書を寄贈した帯広大谷短大では、音更町とともに生涯学習オープンカレッジの活動も行っていらっしゃいます。 次期の開講式(6月8日)では、北海道大学名誉教授で北海道文学館理事長の神谷忠孝先生が〈十勝の中の草森紳一〉と題した記…
草森紳一が自宅のマンションで亡くなっているのが発見された経緯を3月18日と 4月4日付のブログで書いたあと、その数年前の、もう一つの行方不明事件を思い出した。2005年の暑い暑い夏のことだった。私はこの頃、東京と関西の行ったり来たりが多く、数週間不…
U女史から、また達筆のお便りをいただきました。 昨年11月、本たちが保管されている現地を訪ねた私には、皆さんの様子が目に浮かびます。ありがとうございます! ちょっと短くさせていただき、ご紹介します。「四月も残り少なくなり、音更の積雪も僅かとな…
2008年の暮れに本たちの整理を一段落させてから、小さなお店で忘年会をしました。 Living Yellowさん紹介のお店の料理がおいしくて、女子組ではまた行きたいねえ〜〜と話していたのです。 長く皆さんにも会わないので男子組にもお声をかけました。 ただその…
先日アップした草森さんの一周忌の散骨のことが、ある大手(?)散骨業者のブログに90%そのままの内容で出ていました。 書き手は業者の方ですが、草森紳一の知人ではありません。 しかし知人が書いたもので、宗教的な意味を伝え、散骨はこの業者が行ったと…
南陀楼(ナンダロウ)氏と言えば、目録入力が終了した頃(09年5月、エ、もう3年前!)、草森さんの友人、清水ますみさんのご紹介で蔵書整理を取材して下さったのでした。 そのとき、『本とコンピュータ』の編集者だったころ草森さんに一度会っているとお聞き…
『週刊ポスト』4月13日号が、本日郵便受けに入っていました。 表紙の栗山千明さんがすばらしく美しい! 第265回「ニュースを見に行く! 現場の磁力」の現場は、“永代橋”です。 「本に埋もれて死んだふたりの男」というタイトルで、草森紳一と田中眞澄氏(小…
4月もはや4日。ようやく遅い桜の季節になりました。 まだまだ地震が続いていたり、強烈な風雨に驚かされたりの日々ですが、皆さんのところは大丈夫だったでしょうか。不謹慎ですが、地震が多発する3.11より前に草森さんは逝かれて幸いでした。 それに煙草も…
草森さんのお墓をどうするか。 ご弟妹にご相談し、いろいろ考え、見て歩き、迷った末にある墓所にほぼ決めようというその時に、 またしてもちょっと不思議なことが起こって再熟慮することになったのでした。そうして見つけたひとつが、随筆『散歩で三歩』(…
早いもので草森さんの急逝から4年。 4年前の3月29日(土)のお昼前、大倉舜二さんからのお電話で知りました。 私は、ちょうどこのひと月前に父の三十三回忌と弟の追善供養を関西で執り行い、残務整理や、お世話になった方々へのお礼をすませ、東京に戻って一…
東横線で渋谷に着いたとき、ちょうど一年前に地震が起こった時間となる。 午後2時46分。 アナウンスがあって、改札口周辺の人たちと半円形になって黙とうする。46分から3分間は、地震があったという想定で電車を止めて点検をしますというアナウンスもあった…
阪神淡路大震災が起こったときのこと。17年前のことになる。 NHKの特番だったと思う。 スタジオに立ったキャスタ―にカメラが近づき、彼が言葉を発しようとした瞬間、 涙がはらっと、こぼれ落ちたのだった。その人は、番組終了後、叱責されたのだろうか…
草森さんが晩年親しくしていた椎根和さんの最新刊『フクシマの王子さま』(芸術新聞社)を読みました。昨年の暮れに出版されていたのですが、手に入れるのが遅くなってしまいました。 おとぎ話を語るようなスタイルをとった、原発についての恐いお話です。 …
ボランティアのU女史(!)からお手紙と文集をお送りいただきました。零下10度以下の日々が続くなか、2月18日は蔵書整理の日で15名参加だったとか(多いですねえ!!)。 真冬に月1回だけ暖房を入れる廃校内の寒さは北国の人にとっても震え上がるほどで、ポ…
今日2月23日は、草森紳一の74回目の誕生日。亡くなったとき70歳でしたから、早いものです。 回想集に思い出を書いて下さったSさんからのメールに「明日は、草森さんのお誕生日でした?よね?」と。 海外からは「今日はお父さんの誕生日だね」と。すごく尊敬…
8日付けブログでお伝えした大倉舜二氏の『JAZZ NOTE』(芸術新聞社)が、2月15日に出版されました。 お〜〜なんという黒人たちのカッコよさ! 臨場感あふれる構成、装丁も印刷もすばらしく、久しぶりのインクの臭いにうれしくなりました。 表紙のマットイン…
大倉舜二氏と言えば、立木義浩、篠山紀信に並ぶ写真家のお一人で、草森紳一の大親友ですが、 中学生のときから『装苑』や『ジュニアそれいゆ』で育った私には、忘れられない名前です。 当時は服飾雑誌の数も少なく、きれいなページをあこがれの気持ちで眺め…
今年は日本各地で大雪の被害がたくさん出ていますが、草森紳一記念室のある北海道の音更町(帯広市に隣接)でも、先週来マイナス20度前後の日々が続いて冷凍庫状態とか。 皆さんのお住まいではどうでしょうか。くれぐれもお気をつけ下さい。 草森さんの誕生…
石岡瑛子さんが亡くなった。70〜80年代、資生堂やパルコの広告のアートディレクターとして一世を風靡した人だ。1980年の初めに拠点をニューヨークに移し、コッポラの映画『ドラキュラ』の衣装でアカデミー賞を受賞。北京オリンピックの衣装も担当するなど国…
寒い、寒い、寒い! 皆さん、お元気でしょうか。 このところのひどい乾燥状態で、とうとう喉をやられてダウンしていました。 草森紳一さんは北国生れですが寒さに弱く、「風邪を防ぐにはこうするんだ」と手で鋭くバツバツ(××)と空を切って、邪気を払う動作…
遅ればせながら、あけましておめでとうございます。 みなさま、良いお正月を過ごされましたでしょうか。 私は、この20年余り年末年始は故郷で過ごしています。 今年は母と二人きり。体が不自由なだけでなく、話すことも少し難しくなった母ですが、頭ははっき…