その先は永代橋 草森紳一をめぐるあれこれ

「もの書き」草森紳一の蔵書約3万冊は、2009年11月故郷の帯広大谷短期大学に寄贈されました。 このブログでは、以後の草森紳一関連ニュースをお伝えしていきます。写真 草森紳一

「もの書き」草森紳一の蔵書約3万冊は、2009年11月故郷の帯広大谷短期大学に寄贈されました。このブログでは、以後の草森紳一関連ニュースをお伝えしていきます。 写真 草森紳一

草森蔵書プロジェクト十勝から、最近の情報が。(NO.10)

 ボランティアのU女史(!)からお手紙と文集をお送りいただきました。零下10度以下の日々が続くなか、2月18日は蔵書整理の日で15名参加だったとか(多いですねえ!!)。
 真冬に月1回だけ暖房を入れる廃校内の寒さは北国の人にとっても震え上がるほどで、ポットを2本用意して差し入れのおやつでお茶タイムを楽しみながら作業なさったということです。
 ありがたいこと。お疲れさまでした!

 北海道とは比べようがありませんけれど、東京の私たちも雪がちらつくなか蔵書を保管している倉庫に出向き、ダンボール箱から冷えきった本を取り出しては目録入力をした日々がありました。思い出しますねえ。

 18日の午後には音更図書館で田中厚一教授(蔵書寄贈先の帯広大谷短期大学の先生です)の「草森紳一 蔵書とその世界」の講座。二回目で受講生は30名余りだったとか。お〜〜聞きたいですね。どんなお話だったのでしょうか。


 音更町での蔵書整理に参加して下さっているのは、“すずらんカレッジ”こと「音更町高齢者大学」の学生さんが多いようです。

 3、4年次には4つのテーマ(郷土研究、自然研究、社会研究、ボランティア研究)で実践研究が行われます。
冊子(左)を拝見してビックリ。〈郷土研究部〉のテーマは、なんと「草森紳一の人間像を探る」です。宮崎さんを含む7名の方々が、蔵書整理の体験を背景に、草森紳一の著作、HP「白玉楼中の人」、回想集『草森紳一が、いた。』などを参考にまとめられています。
 文末には「〜〜〜予想した通り奥が深く、ジャンルも広く、専門に及んで難解きわまりないものもあり、軽々に言える段階ではない。私たちの研究は緒についたばかりであり〜〜〜二年次にはさらに深く迫りたい〜〜〜」と。期待したいですね。

 大学院卒業生による『卒業記念文集』には、エッセイと実践課程研究報告(1 開拓記念碑と文学碑に見る町の歴史、2 十勝の文化と魅力を高めている企業の社会貢献を探る)が載っています。固いタイトルにもかかわらず、これがとても興味をそそります。

 明治12年に最初の和人として音更に定住した大川宇八郎のこと(草森家の歴史については2011年11月11日付けブログに)、大正14年音更には関東以北で初めての飛行場が開設されていること、『ゴジラ』の映画音楽の作曲家、伊福部昭が少年時代にここで飛行機によく乗せてもらっていたこと

(余談ですが……今調べましたら、音更飛行場はアメリカ人の曲芸飛行に刺激された音更有志が出資してつくった民間の飛行場で、資金難から昭和4年に閉鎖され、以後幻の空港と言われてきたとのこと。伊福部昭についてはご存知の方も多いと思うのですが、大正12年、9歳の時、父の音更村長就任に伴い音更小学校に転校。この地でアイヌの音楽から大きな影響を受けたと言われています。父親は村長を12年勤めたということですから、飛行場ができたばかりの11歳ころから昭少年は、大空を飛んで広大な十勝原野を見ていたのでしょう!)

 
この他文集には、短歌の中城ふみ子らを輩出した雑誌『辛夷』のこと、音更を描いた人や小説、また六花亭十勝毎日新聞社等8社のメセナ活動を探るという報告もあり、冊子ながら充実の内容です。
 8社の中に象設計集団の名前があるのにも驚きました。70〜80年代に学校や公共施設などのユニークな建築でメディアによく登場した設計事務所ですが、1990年から拠点を音更に移していたんですね。
 音更〜十勝の文化度、社会度がうかがえる貴重な資料でした。内田さん、ご送付ありがとうございました! 

 音更に春が訪れるのはいつごろでしょうか。まだまだ寒さが厳しいですが、みなさま、体調に気をつけてお過ごしください。

崩れた本の山の中から 白玉楼中の人