その先は永代橋 草森紳一をめぐるあれこれ

「もの書き」草森紳一の蔵書約3万冊は、2009年11月故郷の帯広大谷短期大学に寄贈されました。 このブログでは、以後の草森紳一関連ニュースをお伝えしていきます。写真 草森紳一

「もの書き」草森紳一の蔵書約3万冊は、2009年11月故郷の帯広大谷短期大学に寄贈されました。このブログでは、以後の草森紳一関連ニュースをお伝えしていきます。 写真 草森紳一

矢崎泰久氏が亡くなられて早や1年・・・

去年の12月30日、不死身のように思っていた矢崎泰久さんが亡くなられた。1月30日の誕生日を前に、89歳でした。

 

1965年に「話の特集」を創刊。"反権力・反権威・反体制"の編集方針と和田誠のデザイン、横尾忠則の表紙は大きな反響を呼び、雑誌やイベントの仕事のみならず、自民党と闘うために中山千夏さんらと「革新自由連合」という政党まで作ってしまった風雲児でした。

底が抜けた退廃を見るような2023の現在だからこそ、生きて、発信して、活動して欲しい人たちが、次々に去って行かれる。本当に寂しい。

 

4月9日には「矢崎泰久さんを囲む会」が開催されている。

お別れの会ではなく、囲む会。 

会場の写真がなくて残念だけど、矢崎さんがインタビューに答えている大きな映像も流されて、まさにご本人を囲み、共におしゃべりしているかのような楽しい会でした。

 ・月日 場所  2023年4月9日  アルカディア市ヶ谷 

 ・発起人 黒柳徹子下重暁子吉行和子冨士眞奈美小室等、李政美、田原総一  

      朗、松崎菊也山根二郎、松元ヒロ、足立正生立木義浩宇野亞喜良、  

      矢崎飛鳥、他

 

草森さんは、「話の特集」創刊直後から手塚治虫批判のマンガ論を書き(1966年6月号~)、これが手塚さんとの論争に発展している。まだ28歳。同年、ADの鶴本正三さんと、当時まだ新人写真家だった浅井慎平さんらと、来日するビートルズの本を作ろうとしていた。
また、麻雀大好きの草森さんは、矢崎さんの麻雀仲間のメンバーでもあって、新年はいつも伊豆の中山千夏さん宅で麻雀だった。筑紫哲也ばばこういち阿佐田哲也、ムツゴロウこと畑正憲氏ら皆さんから「紳ちゃん」と呼ばれていた。

当時のことをよく知る清水ますみさんが送信してくださった「週刊金曜日」(2023年1月20日号)を掲載させていただきます。

中山千夏さんの文中、草森紳一のこともチラと出てきます。

 

早くも特集を組まれた『創』2023年3月号

 

2021年の11月末にいただいた手紙

上は、北海道の『文芸おとふけ』で草森紳一が特集された号をお送りしたときの、ご返事。文字が少し乱れているものの、まだまだお元気と思っていたので、お見舞いにも伺わなかったことが悔やまれます。

(『文芸おとふけ』2020年52号、2021年53号で草森紳一の特集が組まれた)

 

私が矢崎さんの原稿をいただいたのは2度。『劇場』(発行:西武劇場/現パルコ劇場)に執筆依頼をして、原宿のセントラルアパートにあった事務所に伺ったことがありました。70年代半ばで、当時ご担当だった井上保さんは1994年に急逝されたことを今回知り、驚きました。

2度目は、草森さんの回想集『草森紳一が、いた。』への依頼でしたが、いただいた原稿に気になる箇所が数か所あって、恐る恐るもろもろお尋ねしたのでした。

回想集がやっと出来上がって、いただいたお手紙に「あなたはいろいろとうるさい人だけれど、すばらしい」とあって、安堵したことを思い出します。

 

草森さんのお別れの会では、草森さんの息子と娘を両腕に抱いて「写真撮って!」と言われたことは忘れられません。

これからも草森さんと一緒に、あちらから皆を叱咤激励して下さいますように。

 

PS: 
5年前、「私の哲学」というインタビューの小冊子を送ってくださったことがありま 

した。ネットで読めるようになっていましたのでリンクを張ります。

「私の哲学」第72号 発行:インターリテラシー https://myphilosophy.global/interview/yazaki_y/

  

また『劇場』(1975年9月)のスキャンもあったので掲載します。まだ4号目ですね。目次に並んだ人名や、矢崎さんの原稿に、時代の空気がみえるかもしれません。

 

崩れた本の山の中から 白玉楼中の人