去年の12月30日、不死身のように思っていた矢崎泰久さんが亡くなられた。1月30日の誕生日を前に、89歳でした。
1965年に「話の特集」を創刊。"反権力・反権威・反体制"の編集方針と和田誠のデザイン、横尾忠則の表紙は大きな反響を呼び、雑誌やイベントの仕事のみならず、自民党と闘うために中山千夏さんらと「革新自由連合」という政党まで作ってしまった風雲児でした。
底が抜けた退廃を見るような2023の現在だからこそ、生きて、発信して、活動して欲しい人たちが、次々に去って行かれる。本当に寂しい。
4月9日には「矢崎泰久さんを囲む会」が開催されている。
お別れの会ではなく、囲む会。
会場の写真がなくて残念だけど、矢崎さんがインタビューに答えている大きな映像も流されて、まさにご本人を囲み、共におしゃべりしているかのような楽しい会でした。
・月日 場所 2023年4月9日 アルカディア市ヶ谷
・発起人 黒柳徹子、下重暁子、吉行和子、冨士眞奈美、小室等、李政美、田原総一
朗、松崎菊也、山根二郎、松元ヒロ、足立正生、立木義浩、宇野亞喜良、
矢崎飛鳥、他
草森さんは、「話の特集」創刊直後から手塚治虫批判のマンガ論を書き(1966年6月号~)、これが手塚さんとの論争に発展している。まだ28歳。同年、ADの鶴本正三さんと、当時まだ新人写真家だった浅井慎平さんらと、来日するビートルズの本を作ろうとしていた。
また、麻雀大好きの草森さんは、矢崎さんの麻雀仲間のメンバーでもあって、新年はいつも伊豆の中山千夏さん宅で麻雀だった。筑紫哲也、ばばこういち、阿佐田哲也、ムツゴロウこと畑正憲氏ら皆さんから「紳ちゃん」と呼ばれていた。
当時のことをよく知る清水ますみさんが送信してくださった「週刊金曜日」(2023年1月20日号)を掲載させていただきます。
早くも特集を組まれた『創』2023年3月号
2021年の11月末にいただいた手紙
上は、北海道の『文芸おとふけ』で草森紳一が特集された号をお送りしたときの、ご返事。文字が少し乱れているものの、まだまだお元気と思っていたので、お見舞いにも伺わなかったことが悔やまれます。
(『文芸おとふけ』2020年52号、2021年53号で草森紳一の特集が組まれた)
私が矢崎さんの原稿をいただいたのは2度。『劇場』(発行:西武劇場/現パルコ劇場)に執筆依頼をして、原宿のセントラルアパートにあった事務所に伺ったことがありました。70年代半ばで、当時ご担当だった井上保さんは1994年に急逝されたことを今回知り、驚きました。
2度目は、草森さんの回想集『草森紳一が、いた。』への依頼でしたが、いただいた原稿に気になる箇所が数か所あって、恐る恐るもろもろお尋ねしたのでした。
回想集がやっと出来上がって、いただいたお手紙に「あなたはいろいろとうるさい人だけれど、すばらしい」とあって、安堵したことを思い出します。
草森さんのお別れの会では、草森さんの息子と娘を両腕に抱いて「写真撮って!」と言われたことは忘れられません。
これからも草森さんと一緒に、あちらから皆を叱咤激励して下さいますように。
PS:
5年前、「私の哲学」というインタビューの小冊子を送ってくださったことがありま
した。ネットで読めるようになっていましたのでリンクを張ります。
「私の哲学」第72号 発行:インターリテラシー https://myphilosophy.global/interview/yazaki_y/
また『劇場』(1975年9月)のスキャンもあったので掲載します。まだ4号目ですね。目次に並んだ人名や、矢崎さんの原稿に、時代の空気がみえるかもしれません。