その先は永代橋 草森紳一をめぐるあれこれ

「もの書き」草森紳一の蔵書約3万冊は、2009年11月故郷の帯広大谷短期大学に寄贈されました。 このブログでは、以後の草森紳一関連ニュースをお伝えしていきます。写真 草森紳一

「もの書き」草森紳一の蔵書約3万冊は、2009年11月故郷の帯広大谷短期大学に寄贈されました。このブログでは、以後の草森紳一関連ニュースをお伝えしていきます。 写真 草森紳一

17回忌記念の、草森紳一展とトークイベントが開催中!

早や、6月も半ばを過ぎました。

遅いお伝えになり大変恐縮ですが、

草森紳一の17回忌を記念して、元編集者の方や古本屋さんが展示会とトークを企画して下さいました。
東京の地下鉄・銀座線の田原町駅から2分の本屋「リーディンライティン」で開催中です!

ステキにオシャレな本屋さんで、品揃えが独特。入口右手の階段と斜めの天井が、書庫・任梟盧に似ています!!

トークイベント(6月22日。配信あり。当日から1週間可能)は下記よりぜひ、お申し込みください。https://readinwritin240622.peatix.com/view



 

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〈雑力の人 草森紳一:元祖サブカル評論家〉展

草森紳一という、とんでもない物書きがいた。
その手にかかると、どんなことでも批評の対象になった。
いまこの時にこそ、甦る草森紳一・展。

・会場:〈リーディンライティン〉田原町ブックストア ・地下鉄 銀座線田原町より2分 東京都台東区寿2-4-7 TEL03-6321-7798 ・OPEN 12:00~18:00  

・会期:2024年6月12日(水)~23日(日) 月・火休み

草森紳一(くさもり・しんいち)1938年-2008年
北海道・音更生まれ。随筆家。慶應義塾大学中国文学科卒。60年代からマンガ、デザイン、美術、ファッション、広告、写真、建築、江戸、中国文化…など、文化全般についての執筆を展開した。主な著書に、『ナンセンスの練習』『江戸のデザイン』(毎日出版文化賞)『絶対の宣伝:ナチスプロパガンダ(全4冊)』『素朴の大砲:画志アンリ・ルッソー』『写真のど真ん中』『荷風永代橋』『随筆 本が崩れる』『李賀:垂翅の客』など。

*会場展示:草森紳一全著作66冊! 草森紳一撮影写真等
*追悼集『草森紳一が、いた。』(税込3300円)https://marblebook.thebase.in/items/79674590
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トークイベント:平山周吉×南陀楼綾繁

6月22日(土)19:00(開場)~21:00 先着20名

◆平山周吉(ひらやま・しゅうきち)
1952年、東京都生まれ。編集者を経て、雑文家。著書に、『江藤淳は甦える』(新潮社、小林秀雄賞)『満洲国グランドホテル』(芸術新聞社、司馬遼太郎賞)『小津安二郎』(新潮社、大佛次郎賞)など。編集者時代、草森紳一の『随筆 本が崩れる』なども編集。
南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)
1967年、島根県出雲市生まれ。ライター、編集者。「不忍ブックストリート」前代表。「石巻まちの本棚」の運営にも携わる。著書に、『町を歩いて本のなかへ』(原書房)『古本マニア採集帖』(皓星社)、編著に『中央線小説傑作選』(中公文庫)など。

*お申し込みは、Peatix より https://readinwritin240622.peatix.com/view

トークイベント参加費=1000円(会場・配信とも) 会場は20名様まで。
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主催〈草森紳一プロジェクト〉
担当:古本と肴 マーブル 090-1955-2693 蓑田 oldbookmarble@gmail.com

 

あの「まんが日本昔ばなし」の作家・池原昭治氏の手作り本を発見!

あっと言う間に草森さんの16回目の命日、3月19日が巡ってきます。

昨年来いろいろ慌ただしくて、十七回忌を行うことができないのが残念です。

 

昨年から、いろいろなニュースがあるのですが、ビッグニュースはなんといっても「60年ぶりの再会」です!
草森さんが、60年代半ば、まだ新人だった頃の池原昭治氏からお借りした自装本が、書庫・任梟盧(にんきょうろ)から発見されたこと。

 

ご紹介が遅くなってしまいましたが、二紙の新聞記事と佐藤利男さんのブログ「草の森大冒険」(2023年10月19日)の投稿をどうぞご覧ください。

 

 

草森紳一の北海道の書庫「任梟盧」に保存されていた池原氏の自装本
弾丸ライナー」(昭和28年・1953年発行)。中学生の時の作品。


ブログ「草の森大冒険」(2023年10月19日)

ninkyoro.hatenadiary.org


お借りした大事な本を、つい忙しさに紛れて返却しそびれることは私にもよくあることですが、ご本人の作品ですから、本当に申し訳なかったと思います。

北海道の草森蔵書を取材された南陀楼綾繁氏の記事を偶然ご覧になった池原氏の娘さんが、帯広大谷短大にお問い合せ下さり、そこから書庫の管理に当たって下さっている佐藤さんにご連絡、そして発見に至りました。

 

池原奈々さんからのメールには、池原氏と草森さんの貴重な交流の様子がうかがえますので、許可をいただければまたアップしたいと思います。
(許可はとっくにいただいているのですが、思いがけない忙しさですみません、お待ちください!)


ご本人も、あちらでさぞビックリされていることでしょう!!

 

南陀楼氏の草森蔵書取材記事は、以下の「日本の古本屋」メールマガジンに掲載)

https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=12211&fbclid=IwAR2LlcRM_bEFwsU2yYWQq5HhPysgDqxe7yzDqAmC6oBZGMHv1Obndk_LBH8

 

矢崎泰久氏が亡くなられて早や1年・・・

去年の12月30日、不死身のように思っていた矢崎泰久さんが亡くなられた。1月30日の誕生日を前に、89歳でした。

 

1965年に「話の特集」を創刊。"反権力・反権威・反体制"の編集方針と和田誠のデザイン、横尾忠則の表紙は大きな反響を呼び、雑誌やイベントの仕事のみならず、自民党と闘うために中山千夏さんらと「革新自由連合」という政党まで作ってしまった風雲児でした。

底が抜けた退廃を見るような2023の現在だからこそ、生きて、発信して、活動して欲しい人たちが、次々に去って行かれる。本当に寂しい。

 

4月9日には「矢崎泰久さんを囲む会」が開催されている。

お別れの会ではなく、囲む会。 

会場の写真がなくて残念だけど、矢崎さんがインタビューに答えている大きな映像も流されて、まさにご本人を囲み、共におしゃべりしているかのような楽しい会でした。

 ・月日 場所  2023年4月9日  アルカディア市ヶ谷 

 ・発起人 黒柳徹子下重暁子吉行和子冨士眞奈美小室等、李政美、田原総一  

      朗、松崎菊也山根二郎、松元ヒロ、足立正生立木義浩宇野亞喜良、  

      矢崎飛鳥、他

 

草森さんは、「話の特集」創刊直後から手塚治虫批判のマンガ論を書き(1966年6月号~)、これが手塚さんとの論争に発展している。まだ28歳。同年、ADの鶴本正三さんと、当時まだ新人写真家だった浅井慎平さんらと、来日するビートルズの本を作ろうとしていた。
また、麻雀大好きの草森さんは、矢崎さんの麻雀仲間のメンバーでもあって、新年はいつも伊豆の中山千夏さん宅で麻雀だった。筑紫哲也ばばこういち阿佐田哲也、ムツゴロウこと畑正憲氏ら皆さんから「紳ちゃん」と呼ばれていた。

当時のことをよく知る清水ますみさんが送信してくださった「週刊金曜日」(2023年1月20日号)を掲載させていただきます。

中山千夏さんの文中、草森紳一のこともチラと出てきます。

 

早くも特集を組まれた『創』2023年3月号

 

2021年の11月末にいただいた手紙

上は、北海道の『文芸おとふけ』で草森紳一が特集された号をお送りしたときの、ご返事。文字が少し乱れているものの、まだまだお元気と思っていたので、お見舞いにも伺わなかったことが悔やまれます。

(『文芸おとふけ』2020年52号、2021年53号で草森紳一の特集が組まれた)

 

私が矢崎さんの原稿をいただいたのは2度。『劇場』(西武劇場)に執筆依頼をして、原宿のセントラルアパートにあった事務所に伺ったことがありました。70年代半ばで、当時ご担当だった井上保さんは1994年に急逝されたことを今回知り、驚きました。

2度目は、草森さんの回想集『草森紳一が、いた。』への依頼でしたが、いただいた原稿に気になる箇所が数か所あって、恐る恐るもろもろお尋ねしたのでした。

回想集がやっと出来上がって、いただいたお手紙に「あなたはいろいろとうるさい人だけれど、すばらしい」とあって、安堵したことを思い出します。

 

草森さんのお別れの会では、草森さんの息子と娘を両腕に抱いて「写真撮って!」と言われたことは忘れられません。

これからも草森さんと一緒に、あちらから皆を叱咤激励して下さいますように。

 

PS: 
5年前、「私の哲学」というインタビューの小冊子を送ってくださったことがありま 

した。ネットで読めるようになっていましたのでリンクを張ります。

「私の哲学」第72号 発行:インターリテラシー https://myphilosophy.global/interview/yazaki_y/

  

また『劇場』(1975年9月)のスキャンもあったので掲載します。まだ4号目ですね。目次に並んだ人名や、矢崎さんの原稿に、時代の空気がみえるかもしれません。

 

「日本の古本屋メールマガジン」<書庫拝見>に草森蔵書!

「日本の古本屋メールマガジン」に、一箱古本市の発案者・南陀楼綾繁さんの人気連載<書庫拝見>があります。

このたび、南陀楼さんの取材により帯広大谷短大の草森蔵書(前編)と、任梟盧の草森蔵書(後編)が掲載されました。

初夏の取材は思いがけない出会いもあって、充実したものになったようです。
ぜひご覧ください。

<書庫拝見17>

草森紳一蔵書 前編 
草森さんの本は川を渡って

https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=12211

<書庫拝見18>

草森紳一蔵書 後編 
白い迷宮に残された本

https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=12389

 

南陀楼さん、取材にご協力くださった皆様、ありがとうございました!

 

尚、北海道は冬に入りますので、

◎任梟盧公開は、11月12日(日)が年内最後となります!

冬の期間は、場所を変えて「勉楽会」を再開していきたいとのこと。

見学希望やお問合せは、

佐藤利男 080-5725-2960  sato.toshio.2960@gmail.com まで。

 

帯広大谷短大の蔵書について


草森紳一記念資料室
月によって開館日時が異なりますので、お越しの際はお電話でご確認下さい
https://www.oojc.ac.jp/?page_id=6063


旧東中音更小

見学ご希望の場合は、お電話でご確認下さい
https://www.lib-eye.net/oojc-kusamori/servlet/Index?findtype=9

帯広大谷短期大学内 草森紳一記念資料室
担当・加藤賢子または副学長・吉田真弓
電話0155-42-4444(代表)

第三弾が出ました! 『草森紳一は橋を渡る』愛敬浩一著(洪水企画刊)

愛敬さんから郵便物が届き、開けたとたんに「早やっ!」と叫んでしまいました。

草森論の二冊目から、半年ほどしか経っていません。

本書を読まれた元草森番の方から「第一部は草森雑文宇宙の大団円に向かって行っていて、圧巻ですね。愛敬さん、まだまだ出しそうですね」とのメール。

期待して待ちましょう!

第三弾の本書が、1971年に晶文社から出版されて注目を集めた名著『ナンセンスの練習』を採り上げているのもうれしい。

◎『草森紳一は橋を渡る――

    分別と無分別と、もしくは詩と散文と』愛敬浩一著

  

  表紙袖のコピー

      

 

◎出版された三冊

草森紳一の問い ――その「散歩」と、意志的な「雑文」というスタイル』

                            (2022年5月30日刊)

草森紳一「以後」を歩く――李賀の「魂」から、副島種臣の「理念」へ』
                           (2023年1月10日刊) 

草森紳一は橋を渡る――分別と無分別と、もしくは詩と散文と』 

                           (2023年8月26日刊)


          ◎お問合せとご注文先

                                             上記三冊は、各1980円(税込) 

              書店扱いもありますが、発行元に直接注文もできます。

                          発行:洪水企画 info@kozui.net /   TEL&FAX   0463-79-8158

 ◎このブログでのアドレス

一冊目は2022年8月6日

   https://s-kusamori.hatenadiary.org/entry/2022/08/06/172122

     二冊目は2023年2月23日     

   https://s-kusamori.hatenadiary.org/entry/2023/02/23/164007

                          にご紹介しています。

 

久しぶりの投稿です。「恩師・村松暎先生を囲んで、岡君と俺(草森)」の写真、追悼文など

ご無沙汰してしまいました。

3月8日以後、なかなか投稿できず・・・

ただお伝えすべきニュースは多々あります。

草森紳一慶應大学の後輩、岡先生が2022年9月に亡くなられた、ほんの3か月後の年末、「話の特集」編集長の矢崎泰久さんも亡くなられました。
コロナの時、90歳とおっしゃる矢崎さんからのお手紙には「私はワクチンもマスクも拒否しています。紳ちゃんが生きていたら彼も同じ考えだったと思います。何より自由が大事です」とありました。ショックと寂しさは続いています。

 

・今年の6月には、矢崎さんのお仲間の清水さんが中心となって、芸術新聞社の相澤社長、元文藝春秋編集長の細井秀雄さんらが北海道音更・草森蔵書見学ツアーを決行。やっとコロナも収まってきたのでと。
 ちょうど同時期、南陀楼綾繁さんが「日本の古本屋」ウェブサイトの連載<書庫拝見>のために音更取材でした!

・それから、夏には愛敬浩一氏の第三弾『草森紳一は橋を渡る』(洪水企画)も出ました! 後日、ご紹介します。

 

・悲しい出来事は、帯広大谷短大・蔵書ボランティアの代表として、草森プロジェクトの運営に携わって来られた木幡裕人氏の急逝です。本当に突然で驚きました。お会いしてゆっくりお話しする機会がなかったのがとても残念です。

 

・その他、書庫・任梟盧で60年ぶりに見つかった池原昭治さん(まんが日本昔話の作者)の若き日の作品など、これからひとつひとつ、ご紹介していくつもりですので、引き続きどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

今夜は、岡先生(草森さん流には岡君)の続きです。

ご逝去をお教えくださった平井徹氏(慶大講師)が送ってくださった貴重な写真。
左から岡晴夫教授、村松暎教授、草森紳一
右下の日付は、1994年4月17日ですが、なんの集いだったのでしょうか。
恩師を囲んで後輩と3人。こちらまでくつろいで和やかな気分になります。

 


以下は、岡先生が「三田文学」(2011年春号)にお書きになった追悼文。
トリミングをしたいところですが、このままでスミマセン・・・


 

 

慶應義塾大学・岡晴夫先生のご逝去と 『劇場16』について

去年の秋、岡先生が亡くなられたらしいというニュースが飛び込んできた。

はっきりしないということだったので、何人かの方にお尋ねした。

「そういえば、最近お電話をいただいていません」というご返事があるぐらいで、それ以上のことはわからなかった。

 

岡晴夫先生は、慶応の中国文学科で草森紳一の一年下。
奥野信太郎先生と村松暎先生を恩師と仰ぐ先輩後輩の関係だった。(当時のことは、回想集『草森紳一が、いた。』に岡先生が詳しく書かれている)

草森さんの急逝後、岡先生は遺族や蔵書整理の仲間と親しく交流され、有楽町の「炉端」で集ったり、隅田川での散骨式にも参列され、蔵書が帯広大谷短大に寄贈されたときには、皆と一緒に大学を訪問されるなど、いつも草森さんと私たちに寄り添い、温かい心配りをして下さっていた。

 

お電話をいただくとよく「奥野先生は、草森さんをどうなさるおつもりだったんだろう・・・草森さんは大学にとどまる人ではないと思うんだが・・・」と言われていた。
「『日本笑い学会』というのもやってるんですよ。笑いは大事ですからねえ」と言われた明るいお声も思い出す。

暮れになって、ご遺族から喪中はがきが届く。奥様が7月3日に77歳で、岡先生は9月8日に83歳で永眠いたしました、とあった。

 

とても信じられず親子でショックを受けていたところ、平井徹氏(慶大講師)からも「岡先生がご逝去され寂しくなりました」というお葉書をいただいた。

平井氏によれば、岡先生からの最後のお電話は昨年5月末の御入院直前で、「療養については状況を詳細かつ冷静に話され、知識欲も旺盛で、御本人も十分恢復するつもりでおられた」ということだ。

「岡先生と私とのつながりが深まったのは、ひとえに村松先生への敬意を共有することができたからです。(中略)岡先生の御逝去で、奥野信太郎先生の薫陶を受けた方は、慶応にはもうおられなくなりました。

一時代が終わった感があります。喪失感は未だに大きいのですが、これから、我々の世代が益々頑張らなければなりません」と。深い深い悲しみがひたひたと伝わってきた。

そして山下輝彦先生による追悼文が『三田評論』に掲載されたこともお教えくださった。

 

三田評論』の許可をいただき、追悼文をブログに掲載させていただきます。

山下先生からは、「「岡晴夫」と言う学者の在った事をひとりでも多くの方に知って頂ければ、先生へのささやかな供養になるかもしれません」というお言葉をいただきました。


ご許可をくださいました山下輝彦先生に感謝申し上げます。
またお教えくださった平井徹様、ありがとうございました。

岡先生が、いまここにいらっしゃるかのようなすばらしい追悼文です。笑顔にも胸を突かれます。

                      『三田評論』2022年12月号掲載

 

 

岡先生は長く奥様の介護にもあたられていた。ご心痛を察しながらも、この数年のあ

わただしさに追われ、なんのお役にも立てなかったことが悔やまれます。 

  岡先生、ありがとうございました。 

           岡先生と奥様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

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(長い追伸)

岡先生のご逝去をきっかけに、思いが40年以上も昔に飛んでいく。

当時私は、渋谷パルコの9階にあった西武劇場(現PARCO劇場)で『劇場』誌を担当していた。1977年2月の公演はバルトークの「中国の不思議な役人」。寺山修司の台本・演出で、パルコ初のプロデュース公演だった。

『劇場』の編集者は私一人で、編集は任されていたのだけれど、なぜか初めて専務室に呼ばれ、指示を受けた。「中国の不思議な役人」の執筆者については、慶応大学の村松暎先生にご相談するようにと。

 

三田の慶応大学に出向いて、初めて村松先生にお会いしたとき、「中国でこんなものが発見されましてね」と大陸から届いたばかりの粗雑な印刷の冊子を見せてくださった。兵馬俑の写真だった。不思議な先生で、「私は名前のコレクションをしていますが、あなたの名前を加えてもよろしいでしょうか」とも聞かれたことを憶えている。

薄暗い研究室の中でのことで、遠い記憶がほんとうにあったことなのかどうか、、、、

それから執筆者には、「草森君、岡君もどうでしょうか」と言われたのだった。

 

岡先生の研究室は村松先生とは違って、大きなガラス窓のそばにデスクがあってとても

明るかった印象が残っている。お坊ちゃんそのままのような若く品のある先生だった。

「草森さんには、早めの締め切りにした方が良いですよ」というアドバイスは岡先生からだったか、村松先生からだったか・・・

草森さんには、芝公園の、広いラウンジのような喫茶室でお会いした。テーマを書いたメモをお見せしたら「上海について書きたいな」と言われたが、執筆者はすでに決まっていた。(今、手元の『劇場』16号を見たら、上海の原稿はない。私の記憶違いなのか・・・) 

 

(――今もあの時、増田通二専務がなぜ村松先生に会うようにと言われたのか、不思議で仕方がない。東大哲学科卒の増田専務と、慶応大学中国文学科との接点が見つからない。また「中国の不思議な役人」役は伊丹十三氏だったけれど、伊丹氏が人気エッセイストとなった『ヨーロッパ退屈日記』は、婦人画報社時代の草森さんが担当者だった。本当に不思議な巡り合わせだったと思う。――)

 

2008年3月に草森さんが亡くなり、お別れの会に岡先生がいらしていたと聞いて、お電話を差し上げたら憶えて下さっていて、とても光栄だった。

村松先生はなんと草森さんより一か月前の、2008年2月に亡くなられている。

岡先生はお寂しかったのかもしれない。草森紳一の娘や息子さん、私の仕事仲間までご紹介して、楽しい時間を過ごしたことが思い出される。ご無沙汰していてお電話を差し上げるといつも「お嬢様方もお元気ですか?」と聞いて下さった。
彼女たちには、ご逝去をまだ伝えていない。やはりショックが大きいと思うから・・・

 

『劇場16』に掲載の、岡先生と村松先生のページをご紹介したい。46年前の村松先生の文章は、現在の中国を考えるにもとても示唆に富んだものだ。


(公演は1977年2月23日―3月6日。のちに再演。表紙イラストは合田佐和子さんで舞台美術も担当。中国の不思議な役人伊丹十三、娼婦は山口小夜子が演じた)

 

 



(草森さんの原稿については、スキャンの調子が良くないので諦めました。スミマセン! 『印象』(冬樹社1978年刊)に掲載されていますので、恐縮ですが古本屋でお求めいただければ幸いです)

 

 

 

崩れた本の山の中から 白玉楼中の人