その先は永代橋 草森紳一をめぐるあれこれ

「もの書き」草森紳一の蔵書約3万冊は、2009年11月故郷の帯広大谷短期大学に寄贈されました。 このブログでは、以後の草森紳一関連ニュースをお伝えしていきます。写真 草森紳一

「もの書き」草森紳一の蔵書約3万冊は、2009年11月故郷の帯広大谷短期大学に寄贈されました。このブログでは、以後の草森紳一関連ニュースをお伝えしていきます。 写真 草森紳一

2012-01-01から1年間の記事一覧

額縁の中の四季

このオフィスで迎える29回目の年の瀬です。 人と人との巡り合わせもあれば、場所と人との巡り合わせもありますね。 29年前、駒場東大裏のアパートを出なければならなくなって、 頬がこけるほどに歩きまわり、探しまわり、やっとこの場所にたどり着いたのでし…

勘三郎さんが亡くなった

勘三郎さんというより、私たち70年世代には歌舞伎界の新星、愛嬌と才気にあふれた勘九郎ちゃんと言ったほうがなつかしい。 歌舞伎が大好きだった草森さんは、舌をまくほどといった感じで「勘九郎はとにかく踊りがうまい」とよく言っていた。勘九郎さんと草森…

もう、永代橋は見えない。

永代橋が見えなくなったら引っ越したいと、草森さんは言っていた。 目の前にマンションが建つ予定だからということだった。着工が遅れたのだろうか。草森さんはすでにいない。同じマンションに住んでいた青年が、やはり永代橋が見えなくなったのでと、この11…

書庫「任梟盧」の一部をYou Tubeで公開しました!

本日11月21日は大安。東京は、初冬の陽射しが眩しい美しい日になりました。大安の21日に公開していただくように帯広の加藤肇さんにお願いしたところ、本日0時半に公開設定にして下さいました。ありがとうございます! 別に結婚式ではないのですけれどね。 昔…

明日11月21日、草森紳一の書庫「任梟盧」を You Tubeで公開します!

(←画像をクリックすると大きくなり、読むことができます)草森さんの故郷、北海道の音更町には1977年築の書庫「任梟盧」(にんきょうろ)が建っています。 蔵書数は、おそらく約3万冊。サイロに似た高さ約9メートルの白い塔が、雑誌「太陽」(1981年11月号…

伝説の書庫「任梟蘆」の一部をYou Tubeで公開中。

未編集の映像ですが、下記のアドレスで全7本(外観と内観)がアップされます。 http://www.youtube.com/user/kusamori

大倉舜二氏の写真展『JAZZ NOTE』が開催されます!!

草森紳一が、婦人画報社で編集者として働き始めた60年代初めから、2008年3月、門前仲町のマンションで急逝しているのが発見されたその日迄ずーっと、無二の悪友同士だったお二人。 3年前(え、もうそんなに!)にブログ「崩れた蔵書の山の中から」にアップ…

草森紳一書き出し劇場13 『狼藉集』

前々回のブログに羽良多平吉氏の名前が出てきたので、今回は羽良多平吉装丁・デザインによる『狼藉集』をご紹介。 草森紳一の著作としては訳書をのぞいて、7冊目。1973年11月、ゴルゴオン社刊です。60年代後半から70年代初めにかけての短文エッセイが105篇詰…

わが友、清水哲男

詩人の清水哲男さんから、懐かしい写真を送っていただきました。 清水さんも草森さんも1938年2月生まれの同い年。これは41、2歳の頃、新宿の飲み屋で撮ってもらった写真だそうです。(左が清水さん)回想集『草森紳一が、いた。』にくわしく書いて下さってい…

草森紳一、『遊』への執筆は?

松岡正剛氏といえば、われわれ70年代世代には雑誌『遊』(工作舎刊)がなつかしい。杉浦康平デザインによる凝りに凝った造本と、古今東西のあらゆるジャンルを横断し超越する博覧強記の内容は見たことのない新しいものだった。 難解な文章に付いて行けないこ…

「松岡正剛の千夜千冊」に感動的な紹介が

ちょっと感動的な紹介がでました……このターニングポイントの時代に……ウェブ・マガジンの「松岡正剛の千夜千冊 読相篇」―― 1486夜『本が崩れる』草森紳一です。ぜひ読んでください!

「草森蔵書整理プロジェクト十勝」から(NO.18)

東京は台風一過で、今日は秋の空が広がりました。 天災の多い年ですが、みなさまの所は大丈夫だったでしょうか。久しぶりに音更のボランティア、内田さんからお便りをいただきました。北海道も今年は30度を軽く越える猛暑の夏だったそうですが、9月24日…

いいえ、整理下手なんかじゃあなくて

視界全体が本となった部屋に住んでいた草森紳一は、整理下手であると思われる方がほとんどでしょう。 いやいや幼少のころからのコレクターで、むしろ整理魔。切手マニア、新聞の題字マニアなど、なんでもきちんとスクラップしていたと聞いた記憶があります。…

『マガジン航』に草森蔵書整理の顛末が紹介されました!

本と出版の未来を考えると言うコンセプトで発行されている『マガジン航』(編集人・仲俣暁生)というWEBマガジンがあります。 電子書籍の可能性と問題を探るという記事が主なのですが、7月の「本で埋め尽くされた書斎をどうするか」(取材・西牟田靖)とい…

草森紳一書き出し劇場12  『素朴の大砲  画志アンリ・ルッソー』

草森さんのタイトルの付け方は実にユニーク。『狼藉集』、『円の冒険』、『絶対の宣伝』、『見立て狂い』など、タイトルによる草森人物論だってできるのではと思うほど。 やはり四方田犬彦氏が「新潮」2008年8月号の追悼文「スカラベのごとく孤独」(と、思…

草森紳一書き出し劇場11  『旅嫌い』

本の運命はさまざまと思う。この『旅嫌い』の発行は1982年4月10日。マルジュ社という出版社から出て、朝日新聞の書評欄で大きく採りあげられていたのを憶えている。女性作家による、とても印象的な評だったけれど、なにせ30年前のことなので、名前がはっきり…

この暑さに、「草森紳一をめぐるあれこれ」 も脱線!

暑い!! あんまり暑くて、おまけに下界はさわがしいので、 ふと「白玉楼はいかが?」と問いたくなった。そして、モロッコの旅を思い出した。 大昔、パリの大学都市に住む友人の部屋に居候させてもらい、 ちょうど夏休みシーズンだったのでサンジェルマンで…

さまざまなことに思いを馳せながら

昨日は、西日本〜東日本は豪雨と落雷ですさまじい一日でした。 皆さんのところはいかがでしたか。オリンピックは無事終了して、以前のニュースが復活しましたが、大震災後の現状、政治、経済、外交、気候などなど、気持ちが沈むようなことばかりですねえ。そ…

『中国文化大革命の大宣伝』の生原稿や資料などを、帯広大谷短大へ

草森蔵書以外に、生原稿等も寄贈するお約束になっています。なかなか整理がつかないのですが、それでも今までに『文字の大陸 汚穢の都』(2010年 大修館書店)の 「しにか」連載生原稿やゲラ、『本が崩れる』(文春新書)の生原稿やゲラ、 石川啄木や柳原白…

草森紳一 蔵書寄贈前夜の奇跡の日々 (蔵書整理プロジェクト関連 NO.17)

昨日アップした「編集余録」(7月3日付十勝毎日新聞)で、帯広大谷短大の田中教授が 草森蔵書の受け入れを「奇跡」という言葉で表現されたことに触れている。思わず3年前にタイムスリップしてしまった。 寄贈する側の私たちにとっても、本当に奇跡的な進行だ…

「蔵書整理プロジェクト十勝」からのお便り NO.16

いつものように音更町のボランティア、内田さんからのお便りです。 7月から東中音更小学校(廃校)での作業は、希望者をつのって午後も続けられるようになったそうです。涼しい北の国?ではなく、7月28日は33度を越える暑さになり、冷房がないため、窓を開け…

突然、舞い降りてくるもの

自宅からオフィスに向かう道すがら、フッとある歌が舞い降りてきた。 「リンゴの花ほころび♪ 川面に霞たち〜♪」 なんと、最後まで歌えたのが不思議。何十年ぶりだろう……なぜ突然、心の中にわき上がったのだろう。トッポジ―ジョが現れたこともあった。 「どこ…

回想集『草森紳一が、いた。』、残部稀少です!!

ジュンク堂の田口さんに、「どうしてバーコードを付けなかったの?」と言われてしまいましたが、 著作権のこともありましたし、制作の山場に家族の入院という思いがけない事態も起こって、熟慮する余裕が全くなくなり、ただただ草森さんの寅年に間に合わせた…

60-70年代の伝説の連載、草森紳一の「李賀」が来春出版予定です!

久々にうれしいビッグニュースです。60-70年代に数回にわたり『現代詩手帖』に連載され、多くの読者を惹きつけた「垂翅の客 李長吉伝」が本になります。ちょっと早いですが、お知らせ。 出版社は、『中国文化大革命の大宣伝』を出して下さった芸術新聞社です…

草森紳一の、蔵書リストと著作リストは・・・

先日、「草森さんの目録はネットにアップされていますか?」というお尋ねをいただきました。残念ながら未だです。 東京での目録入力は、2009年の4月末に終了しました。 その後は寄贈先の交渉と寄贈がそれに続き、目録の校正→ 完全原稿→ 一般公開は寄贈先の帯…

円満字さんが、『舟を編む』の三浦しをんさんと対談です!

蔵書整理プロジェクトの中心になり、ご尽力下さった円満字二郎さんが10冊目の著書『漢字ときあかし辞典』(研究社)をお出しになりました。 2320字のそれぞれの漢字にピッタリの見出しがとても面白い! 分かりやすい! 楽しい! ユニークな試みの辞典で、著…

ものすごい巡り合わせ

7月5日、「大伴昌司の大図解展」に行ってきました。 大伴昌司氏(1936-1973)については、60〜70年代に少年少女時代を過ごした人なら誰でもその仕事を見たことがあるはず。 SF評論家、翻訳家であり、『少年マガジン』などのSF・怪奇特集の企画構成で一世…

昨日の続きです。パルコのこと。

昨日、さびしい、さびしい、さびしいなどと書いてしまったが、 またしてもさまざまなことを思い出す。パルコを作った増田通二氏がリタイアなさったあと、90年代の初めだったか、独立していた私のところに何度かお電話をいただいた。 「本をね、作りたいんで…

さびしい、さびしい、さびしい、パルコの元宣伝局長 石川氏の訃報に。

石川福夫氏の訃報が、昨日メールで入った。6月16日永眠。戒名、お墓は一切不要との遺言で、葬儀も親族ですまされたと言う。 今年は、1月に70年代パルコのポスターやCMのクリエイティブディレクターだった石岡瑛子氏の訃報があり、3月にはSPで活躍し、人…

山口昌男先生のこと+音更町の活動のご報告(蔵書整理プロジェクト十勝 NO.15)

前回ご紹介した神谷忠孝氏の北海道新聞のコラムで、山口昌男氏が美幌町の出身であったことを知った。そうだったのか。 札幌大学の学長になられたとき、草森さんに来ませんかという電話があったことを聞いた。 もちろん草森さんは、お断りしたのだけれど。私…

崩れた本の山の中から 白玉楼中の人