永代橋が見えなくなったら引っ越したいと、草森さんは言っていた。
目の前にマンションが建つ予定だからということだった。
着工が遅れたのだろうか。草森さんはすでにいない。
同じマンションに住んでいた青年が、やはり永代橋が見えなくなったのでと、この11月に引っ越した。
青年は、去年の3月11日の大震災で東京にいながら被災難民になった。
友人の住居、親戚の家などを転々としたのち、「永代橋の見える〜〜」という不動産チラシの一枚に吸い寄せられるようにして、このマンションに移り住むことになった。
彼は、批評家を目指す編集者。
隅田川の面を眺めながら、気持ちの落ち着く良いところが見つかったと安堵したという。
ある日、写真家の田中長徳氏のブログに、草森紳一の住いとしてアップされている建物の写真を見てビックリする。
10代のころから草森紳一のことは知っていた。この建物の色は?!……もしかしたら、このマンションじゃあないか……
そしてある日、永代橋をわたって茅場町の森岡書店をのぞいたとき、偶然、回想集『草森紳一が、いた。』を見つける。
編集者たちの回想文の中に、7階のマンションとあるではないか。彼の部屋も7階だった。
このときから、「草森紳一は7階のどの部屋に住んでいたのか?」と彼の頭はめまぐるしく推理を開始するのだ。
で、この結果を私は皆さんに話したくてずっとウズウズしていました。
彼がある冊子に顛末を書いたので、こうしてお知らせできる次第です。
さらに改稿して、何らかの印刷物にまとめたいそうで、そのうちに自宅に草森紳一の痕跡を発見するに至るまでのスリリングな物語が披露されることでしょう。
私も聞いてビックリ。
なんという巡り合わせ!!
草森紳一の部屋に住むことになったこの青年は、草森紳一の娘の先輩で、蔵書整理では「バーコードリーダーがあると便利ですよ」とメールをくれて、
作業にも参加してくれた人だったのですから!!
(上の写真は2008年6月、右が2012年11月です)