その先は永代橋 草森紳一をめぐるあれこれ

「もの書き」草森紳一の蔵書約3万冊は、2009年11月故郷の帯広大谷短期大学に寄贈されました。 このブログでは、以後の草森紳一関連ニュースをお伝えしていきます。写真 草森紳一

「もの書き」草森紳一の蔵書約3万冊は、2009年11月故郷の帯広大谷短期大学に寄贈されました。このブログでは、以後の草森紳一関連ニュースをお伝えしていきます。 写真 草森紳一

『その先は永代橋』跋文は、滑り込みセーフ!

芸術新聞社のWEBマガジン、平山周吉連載「戦争画リターンズ」第18回に「草森紳一の父・草森義経アッツ島へ派遣されるはずだった」が掲載されています。戦争絵画がテーマの連載ですが、草森紳一が登場するのは2回目。初登場は、第13回「「死にくたばる」草森紳一に導かれて、『アッツ島玉砕』に再会する」でした。

第13回の件は平山さんからお聞きしていたものの、なかなかアップされませんでした。
やっと3月19日の朝アップされましたので、命日に合わせるなんてと、草森さんの第一発見者、芸術新聞社社長の相澤さんの心配りを思いました。

この日の午後、蔵書整理のボランティアだった中村健太郎さんと幻戯書房の方が来訪。
「その先は永代橋」の単行本を4月中には出したいというありがたくも急なお話。
跋文は、当たり外れがあるため考えていないということでしたが、フトひらめいて、この日アップの「「死にくたばる」草森紳一に導かれて〜〜」原稿をプリントしてお渡ししました。

翌朝には、「幻戯書房としましてもぜひ、平山さんにご執筆いただきたく、希望しております。」とのメール。
深夜まで連絡は付かないだろう…と思いつつも即、平山さんにメールを差し上げたところ、なんと幸運にも、即ご返事。
「4月刊行なら締切りの時間が迫っているのではないか、とそれが気がかりなのですが」と。
この後、平山氏と担当者とのやりとりがあって、お引き受けいただけることが決定。まるで自分の仕事のようにドキドキしたものです!

で、『その先は永代橋』の見本到着は4月17日。企画のお話から1ヵ月。驚異的なスピードです。

ご本人の了解をいただいているのでお伝えしますが、「平山周吉」はペンネームで、『本が崩れる』『本の読み方』「薔薇香處 副島種臣の中国漫遊」など文藝春秋における草森紳一の元担当編集者。
同じ4月25日には初の著書『昭和天皇「よもの海」の謎』(新潮選書)をお出しになり、話題を呼ぶことになりますから、予定が少しでもずれれば……ご無理だったことでしょう。

きっとこれは草森さんのディレクションに違いありません。

崩れた本の山の中から 白玉楼中の人