その先は永代橋 草森紳一をめぐるあれこれ

「もの書き」草森紳一の蔵書約3万冊は、2009年11月故郷の帯広大谷短期大学に寄贈されました。 このブログでは、以後の草森紳一関連ニュースをお伝えしていきます。写真 草森紳一

「もの書き」草森紳一の蔵書約3万冊は、2009年11月故郷の帯広大谷短期大学に寄贈されました。このブログでは、以後の草森紳一関連ニュースをお伝えしていきます。 写真 草森紳一

『三田文學』2018年秋号は、特別に読み応えあり!


『三田文學』2018年秋季号の目次を見ていただければ、説明の必要がないでしょう。
永井荷風奥野信太郎は、草森紳一の人生を大きく動かしたと言える人たちです。

奥野信太郎氏は慶応大学中国文学科教授。草森さんは、奥野氏の授業で唐の詩人李賀を知り、500枚を超える卒論を書くことになります。
大学卒業後、映画会社の入社試験に落ちて編集者をやっていた頃、奥野教授から大学に戻ってくるように言われ、斯道文庫の漢籍の整理に携わりますが、1968年奥野教授が亡くなられた後に大学を離れてフリーランスの物書きになりました。
奥野先生がお元気なら、草森紳一の一生も少し変わっていたかもしれません。

李賀については、「李長吉伝・垂翅の客」という題で『現代詩手帖』に1965年から1976年にわたって書き継がれ、没後、2013年に大著『李賀 垂翅の客』(芸術新聞社)として出版されました。永井荷風についても、永代橋のたもとに居を移してから書き継いだものが、2004年『荷風永代橋』(青土社)という大著になっています。

『三田文學』の没後50周年シンポジウム「奥野信太郎を語る」は、敬愛に満ちた奥深い内容です。ぜひお読みいただければ。
お送りくださった岡晴夫先生、三田文學編集部様、ありがとうございます。


写真は53年前のもの! 1965年10月、中国文学学会開催の岡山大学で。前列左から奥野信太郎教授と村松瑛教授。後列左端が草森紳一、中央が岡晴夫氏。


『三田文學』2018年秋季号の目次、3頁分のうちの2頁。

崩れた本の山の中から 白玉楼中の人