その先は永代橋 草森紳一をめぐるあれこれ

「もの書き」草森紳一の蔵書約3万冊は、2009年11月故郷の帯広大谷短期大学に寄贈されました。 このブログでは、以後の草森紳一関連ニュースをお伝えしていきます。写真 草森紳一

「もの書き」草森紳一の蔵書約3万冊は、2009年11月故郷の帯広大谷短期大学に寄贈されました。このブログでは、以後の草森紳一関連ニュースをお伝えしていきます。 写真 草森紳一

草森紳一、『遊』への執筆は?

松岡正剛氏といえば、われわれ70年代世代には雑誌『遊』(工作舎刊)がなつかしい。杉浦康平デザインによる凝りに凝った造本と、古今東西のあらゆるジャンルを横断し超越する博覧強記の内容は見たことのない新しいものだった。
難解な文章に付いて行けないことが多かったけれど、当時、山手通り沿いの、駒場東大裏にあった工作舎の近くに住んでいたので(山手通りの反対側には、長新太氏の家があった)、原稿依頼で二度ほどのぞいたことがある。入口には脱ぎ捨てられたズックが何足も。大きな黒板を前に若者たちが集っていて、出版社というより松岡塾といった不思議な印象を受けた。

松岡正剛の千夜千冊 読相篇 ―― 1486夜『本が崩れる』草森紳一http://1000ya.isis.ne.jp/1486.html
で、松岡さんが草森紳一と会われたきっかけは『見立て狂い』(フィルムアート社・1982年)だという。
こちらの、まだ秘密の(?)データで執筆を調べると、「走飛飛走 鬼才李賀の昇仙と不老不死」(『遊』1978年12月号)、「昼下がりの仙譚」(『遊』1979年12月号)の2件が出てきた。短い原稿ではなかったかしらんという記憶があるのだけれど、本がないので残念ながら確認できない。
当時の『遊』の執筆者は、松岡正剛編集長の独特のカラーにはまる書き手に限られていたような気がする。
(『遊』誌面で、草森紳一の上記2点以外の執筆をご存知の方は、お教えいただければ幸いです)

私自身の手元に残していた『遊』は、下の3冊。
右上の「箱の中の筐 現代のなぞなぞ」特別号(1973年)のデザインが杉浦康平、イラスト和田光正。
「誰かと日本の話がしてみたい ジャパネスク」特集号(1981年)は西岡文彦イラスト、森本常美デザイン。
「われらはいま、宇宙の散歩に出かけたところだ 野尻抱影稲垣足穂追悼号」(1977年)のアートディレクションは、今気がついたのだが、草森さんの『狼藉集』で装丁デビューした羽良多平吉さんだった。表紙は金刷り、本文にはうすい水色をしき、白抜きの宇宙の銀河が点在していて、文字は濃紺。タイトルを具象化したとても美しい本だ。

これらの本を見てあらためて、すごいお仕事だなあと思う。この存在感! 見開きごとの神経を張り詰めたようなデザインと文字とのバランスを見ながら、電子書籍にはこの作り手の「気」を感じさせるような誌面作りはできないなと思う。
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崩れた本の山の中から 白玉楼中の人