その先は永代橋 草森紳一をめぐるあれこれ

「もの書き」草森紳一の蔵書約3万冊は、2009年11月故郷の帯広大谷短期大学に寄贈されました。 このブログでは、以後の草森紳一関連ニュースをお伝えしていきます。写真 草森紳一

「もの書き」草森紳一の蔵書約3万冊は、2009年11月故郷の帯広大谷短期大学に寄贈されました。このブログでは、以後の草森紳一関連ニュースをお伝えしていきます。 写真 草森紳一

わが友、清水哲男


詩人の清水哲男さんから、懐かしい写真を送っていただきました。
清水さんも草森さんも1938年2月生まれの同い年。これは41、2歳の頃、新宿の飲み屋で撮ってもらった写真だそうです。(左が清水さん)

回想集『草森紳一が、いた。』にくわしく書いて下さっていますが、清水さんが「芸術生活」の編集者だった1964年、デスクの古山高麗雄さんによばれて新人の書き手、草森紳一の担当者になったのが最初の出会いとか。
マンガやビートルズなど、現在サブカルとよばれているものに関心を持っていた二人はたちまち意気投合したそうです。
李賀のことを書きたいという草森さんに「現代詩手帖」の川西健介編集長を紹介したのも清水さんでした。

60年代後半といえば既成の権威に反逆した若者たちが、さまざまな分野で新しい運動を起こした時代。ミニスカート、アングラ、サイケ、ヒッピー、ゲバ棒、劇画などの言葉が思い浮かびます。詩と批評の世界で時代の旗手だったお二人がどんなことを語り合っていたのか。タイムトリップして聞いてみたいですね。

1978年の日本読書新聞「わが友」という欄で、草森さんは三人の親友を採りあげています。
5月22日は「大倉舜二 プリプリとして 生まれながら身についている色気」、
5月29日は「清水哲男 含羞と親分気質 少年のようにモゾモゾと」、
6月12日は「嵩 文彦 繊細な詩魂 宇宙のスケールと地続きに」です。

80年代TOKYO FMのパーソナリティとして、清水さんのさわやかな声も懐かしいですが、現在はWEB「増殖する新俳句歳時記」 「清水哲男の書棚」スピーチバルーン等でもご活躍です。

崩れた本の山の中から 白玉楼中の人