草森紳一は、2008年3月19日に亡くなりました。
あっという間の歳月で信じられませんが、没後14年目の春を迎えたことになります。
当時の新聞や雑誌の訃報には、死亡日が3月17日、20日、21日とさまざまでしたが、いろいろなことが分かってきて、おそらく3月19日に違いないということになりました。
草森さんは、自宅マンションの蔵書の山の中で亡くなり、連絡を取れないことを心配した編集者の方々によって発見されたのでした。
その直前から近所のコンビニやお店で、「倒れた人、運ばれた人はいませんでしたか?」と親しい編集者が尋ね始めていたといいます。
2005年に吐血して、ほんの数日ですが入院していたことがあったので(大倉舜二さんに入院させられ、病院嫌いの草森さんはすぐに脱出したわけですが)、「今度こそダメか」と肝を冷やした方もいらしたのです。
連絡のとれない日がかつてなく続き、とうとう草森さんの室内に立ち入った編集者もいました(いつも鍵はかかっていません)。逆鱗に触れるとわかっていても、校正ゲラを受け取らなければ発行日に間に合わないと。3月28日のことでした。けれど、人が倒れているような気配もにおいもなく、つっかけがないので、やはり外出だと思われたそうです。
同じ28日の夜、編集者4名(文芸春秋の細井秀雄氏、芸術新聞社の相澤正夫社長と根本武氏、元二玄社の和田夏生氏)が門前仲町に揃って、捜索の担当が決められました。29日(土)は相澤氏と根本氏、30日(日)は和田氏・・・
そして3月29日(土)、懐中電灯を持った相澤さんと根本さんが、寝室の奥に眠る草森さんを発見されたのでした。
深川警察署の調べでは、虚血性心疾患(推定)で、3月17日頃の死亡となっています。けれど18日に二人の方と電話で話しているのです。訃報は1日おいて、春分の日の3月20日ということで流していただいたのでした。
葬儀は4月2日。生前の本人の希望に従って、簡素な直葬を江東区端江葬儀所で執り行いました。
3月20日を命日としたけれど、まだ生きていたかもしれないという思いは去らず、草森さんと親しかったマンションの管理人さんに監視カメラを見せていただきました。
なんと、3月18日深夜の元気な姿が写っていたのです。23時37分エレベーターから降りて、すたすたと入口ドアを開けて出かける後ろ姿、23時52分コンビニの小さなポリ袋を提げて帰ってくると、ドア脇にあるポストをチェックしてエレベーターに。
19日の午後3時まで本人の映像はなく、以後、なぜか機械の調子が悪くなり、それきり映らなくなってしまったのでした。
中途半端な気持のままでいた4月半ば、「en-TAXI」(エンタクシー)の編集者壹岐真也さんから、長いお手紙をいただきました。壹岐さんのご承諾を得て、掲載させていただきます。
ちょうど壹岐さん(現在は文筆業)からお手紙をいただいたころ、「夢に草森さんが出てきたのよ」と知人から電話がありました。彼女は70年代のアート誌「芸術生活」の編集者でしたので、昔の草森紳一を知る一人です。
「どうしたんですか、草森さん、お骨になんかなっちゃって。いったい、どうしたんですか」って彼女が聞くと、フニャフニャした言い方で「19日の明け方ごろ、気分が悪くなってね」、そう答えたそうです。
壹岐さんのお手紙と、彼女の夢と・・・そして命日は、3月19日ということになりました。
夢といえば、2008年3月29日草森さんが発見されて、大倉さんからお電話をいただいたまさにその時、娘が不思議な夢を見ていました。
それはまた本人がお伝えしたくなれば、話してくれることでしょう。
(2008年4月2日火葬を終えた後。親族や編集者の方々など40名余りのお見送り。60年代からの友人、大倉舜二氏、矢崎泰久氏、高橋睦郎氏、宮崎晧一氏などの姿が見える。薄曇りの桜の舞い散る穏やかな日だった)
あれから14年経って、どうしてあんなに命日にこだわったのだろうと思います。
思うがままに生きて、本たちの魂に見守られて旅立った幸せな一生でした。
いつ亡くなったかなんて良いじゃあないのと。そう思えるようになってきました。
コロナの感染とロシアとウクライナの悲惨な戦争に、人の生き死にを考えざるを得ない日々が続きます。
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草森さんの友人だった清水哲男さんが3月7日に亡くなられました。(詩人。俳句の評論やTOKYO-FMのパーソナリティも長く務められた)
1964年、清水哲男さんが『芸術生活』の編集者だったころに草森さんと出会い、同い年の2月生まれということもあってか気が合い、サブ・カルチャーの「サ」の字もなかった時代にサブを拾ってきては、ビートルズやマンガの企画を実現させていったとか。
李賀を書きたいという草森さんに『現代詩手帖』の川西編集長を紹介されたのも清水さんでした。
回想集『草森紳一が、いた。』には清水さんの原稿と偲ぶ会でのお話が掲載されています。「草森紳一が、いた」というタイトルは、大いに気に入りましたと言われていました。新宿の喫茶店らしいところでお二人一緒の写真をお送りいただき、このブログでご紹介したこともありました。
本当に寂しくなります。心よりご冥福をお祈りいたします。