その先は永代橋 草森紳一をめぐるあれこれ

「もの書き」草森紳一の蔵書約3万冊は、2009年11月故郷の帯広大谷短期大学に寄贈されました。 このブログでは、以後の草森紳一関連ニュースをお伝えしていきます。写真 草森紳一

「もの書き」草森紳一の蔵書約3万冊は、2009年11月故郷の帯広大谷短期大学に寄贈されました。このブログでは、以後の草森紳一関連ニュースをお伝えしていきます。 写真 草森紳一

草森紳一 蔵書寄贈前夜の奇跡の日々 (蔵書整理プロジェクト関連 NO.17)

昨日アップした「編集余録」(7月3日付十勝毎日新聞)で、帯広大谷短大の田中教授が
草森蔵書の受け入れを「奇跡」という言葉で表現されたことに触れている。

思わず3年前にタイムスリップしてしまった。
寄贈する側の私たちにとっても、本当に奇跡的な進行だった。

草森さんの門前仲町のマンションから蔵書を運び出し、倉庫で大まかなジャンル分けの作業を終えたのが2008年の8月2日だった。
ちょうど花火大会の日で、みんなで花火を見ながら盛大に打ち上げをやったことを思い出す。

その頃、北海道で受け入れを検討して下さっている企業があって、1ヵ月ほど現地作業の指導をしてくれる人はいませんかと言われていた。
それを受けて、少しでも事前にと東京で目録の入力作業を始めた。
ところが10月にこの話が流れてしまう。
みんなあきらめるかと思いきや、気を取り直して、蔵書整理のブログや、草森さんのHPを立ち上げ、他の可能性を探り始めた。 

翌年の早春だったか、ご相談していた帯広市図書館の吉田館長から、興味をもってくださる大学があるとのお手紙をいただいた。
一括寄贈は不可能に近いことなので、本当にありがたいお話だった。
目録の入力を5月の連休までに終える見通しを立て、ご返事の締め切りを5月末にさせていただく。
窓口の館長と、大学側とのお話も順調のようだった。

入力はなんとか予定通り4月25日に完了。中華料理屋さんで胸いっぱいの打ち上げをやった。
のんびり気分の5月も終わろうかという頃、帯広から締め切りを6月末まで延ばして欲しいという連絡をいただいた。
大学の教授会の日程の都合ということで、寄贈について問題はないようだった。

ところがその教授会の日、ご返事はない。翌日、窓口の館長にご連絡をすると教授会そのものが延びたらしいということだった。
並行して北海道の新聞社の記者から、順調に進んでいないのではないかという問い合わせがある。もしや!と夜も眠れない状態になった。

草森さんの蔵書は住居に保管されているのとは違い、日々、倉庫代がかかっているのだった。
すでに倉庫の賃貸は、予定の倍、1年を越えていた。結論が長引けば……
次の教授会が夏休み明けの9月になると、またまた経費がかさむ。来年までずれ込めば……
新たな寄贈先を探すにしても資金が持たない。
それにもしこの話がつぶれれば、入力作業に協力して下さったみんなに何と言えばいいだろう。
三万冊以上の本は処分せざるを得ないことになるのか……

緊張が極度に高まった、教授会当日の7月1日。この案件は深夜まで意見がまとまらず、ペンディングになってしまったのだった。
この時の落胆を思い出すと、今も胸がドキドキする。

大学の夏休みを前に私たちは考えあぐねていた。
蔵書の一部でもお持ちして見ていただけないだろうか。
それに寄贈させていただくにしても、受け入れて下さるにしても、双方の面会は大切なのではないか――。
やれるだけのことをやって、その上でダメならあきらめもつく。
窓口になって下さった帯広の館長に、訪問を打診することになった。

ところがこの件のご相談をするにも一苦労だった。
7月1日 教授会でペンディングとなり、2日に私たちに連絡。
7月3〜5日迄、私は姫路に介護帰省。 帯広の館長は、3〜4日と出張。
東京の窓口の円満字さんは、5〜6日と仕事で宮崎。(後にNHK「歴史は眠らない」の取材だったと知る)

今思い出しても頭がクルクルしてしまう。

この3人のジグザグの予定の中、東京、帯広、姫路、宮崎とメールと電話が飛び交い、
ようやく帯広大谷短期大学から直接ご返事をいただいて訪問が決定したのだった。

7月22日、草森資料と蔵書を抱えて、円満字さんとLiving Yellowさん、私の3人で北海道に飛ぶ。
お二人には草森さんのご実家に建つ書庫「任梟蘆」を見せたかった。
もし、この話がNGになれば、もう二度と見る機会もないだろう。

22〜23日はあっという間に過ぎた。
帯広空港には草森さんのご友人の及川さんが車で出迎え、
大学では中川学長、田中教授ほかの皆さんと面談、夕方には会食、
翌日は弟の草森英二さんにご挨拶をして任梟蘆の見学、そして帯広市図書館の吉田館長にもご挨拶と……

そして、奇跡が起こったのだった。

(大学の中では、東京の遺族や蔵書整理の仲間たちとは異なるドラマがあったことだろう。
現在では当時、音更町から保管場所の協力を得られたこと、草森さんのご友人たちの陰ながらの支援があったことなども分かっている。
みんなの力で、奇跡が起こったのだった)

蔵書寄贈についての詳細は「崩れた本の山の中から――草森紳一蔵書整理プロジェクト」をご覧ください。

崩れた本の山の中から 白玉楼中の人