その先は永代橋 草森紳一をめぐるあれこれ

「もの書き」草森紳一の蔵書約3万冊は、2009年11月故郷の帯広大谷短期大学に寄贈されました。 このブログでは、以後の草森紳一関連ニュースをお伝えしていきます。写真 草森紳一

「もの書き」草森紳一の蔵書約3万冊は、2009年11月故郷の帯広大谷短期大学に寄贈されました。このブログでは、以後の草森紳一関連ニュースをお伝えしていきます。 写真 草森紳一

大型の草森グッズを十勝へ + 北海道つながりのことなど。

山口昌男先生のこと

しばらくぶりのブログです。みなさん、お変わりないでしょうか。

3月10日に文化人類学者の山口昌男先生が亡くなられました。
ご病気ということは知っていたのですが、
昨夜の朝日新聞夕刊で中沢新一氏の追悼文「知の世界 笑って揺らした」を読み、その通り!と胸がいっぱいになりました。

76年に『劇場』(西武劇場発行・現パルコ劇場)でジョルジュ・メリエス特集を組んだとき、原稿依頼をしたのが始まりでその後、
レギュラー筆者と言える存在でした。
最初にいただいたハガキは、どこだったか海外の空港で投かんされたもので、紙面をはみ出さんばかりにいっぱいの小さな文字で、
「メリエス特集の理由は何ですか。ぼくは『劇場』には協力を惜しみません」とあって、感激すると同時にその率直さ、熱さに驚いたものです。

北の大地が生む異色の巨人

札幌大学の学長になられた頃、草森さんに来ませんかというお誘いがあったことをこのブログでも書きました。
http://d.hatena.ne.jp/s-kusamori/20120703/1341286821
「電話に出たら、山口です、って言うんだ。どこの山口かわからないじゃない」と草森さんがあきれていたことを思い出します。

2008年急逝した草森さんの蔵書について北海道近代文学館を訪ねてご相談したとき、
札幌大学に寄贈された山口先生の4万冊の蔵書も、ご病気のためどうなるか分からないとお聞きしました。
去年その山口文庫が拡大オープンしたのは、うれしいニュースでした。
今回、郡司正勝先生(早稲田大学教授、歌舞伎研究家)の蔵書も山口先生の縁で札幌大学に寄贈されていたことを知りました。
(早稲田の演劇博物館に入らなかったのはなぜでしょうか)

山口先生は美幌町の、郡司先生は札幌の出身とか。北の大地と異色の巨人との関係は興味深いですね。

さて、先日、草森さんの遺品の一部を帯広大谷短期大学にお送りしました。
ボランティアの人たちが蔵書整理をして下さっている場所を草森紳一記念館にしたいけれどとおっしゃって下さっています。
実現までには困難があるにせよ、ありがたいことです。

蔵書の重みで壊れた麻雀卓までお送りしてしまったのは、
「草森の展覧会をやりたい。麻雀卓も黒電話も残して置いて下さいよ」と言われていた鶴本正三氏(後、晶三)の
言葉が頭に残っていたからです。
今、フト、気になって調べてみると、なんと鶴本さんも北海道函館の出身!
鶴本さんは、知る人ぞ知る70〜80年代のアートムーブメントの仕掛け人。
少年マガジン』のAD、伝説的なSFマガジンスターログ』の発行人、イッセイミヤケの「AUN展」等のプロデュースも
鶴本さんだったと思います。

北海道の創造的磁力はスゴイですね!

ついでに書くと、中島みゆきさんも帯広出身。
草森さんが珍しく単行本の企画として、井上陽水中島みゆきと3人の座談会をやりたいと言われていた時期がありました。
麻雀仲間の陽水さんからはOKをもらっていたのですが、中島みゆきには断られたととても残念そうでした。
(因みに、中島みゆき草森紳一池澤夏樹各氏は、帯広柏葉高校卒業です)

今年は李賀が4月上旬に、また別の大著も出る予定で、草森さんの巨人ぶりを証明してくれることでしょう。

左から、原稿を書くときの机にしていた麻雀卓、草森さんがとった蝶たち、海外旅行用のトランクも好きな緑色といった凝りようです。

    

崩れた本の山の中から 白玉楼中の人