石岡瑛子さんが亡くなった。70〜80年代、資生堂やパルコの広告のアートディレクターとして一世を風靡した人だ。1980年の初めに拠点をニューヨークに移し、コッポラの映画『ドラキュラ』の衣装でアカデミー賞を受賞。北京オリンピックの衣装も担当するなど国際的に活躍中で、『スパイダーマン』の舞台衣装も評判だ。
突然の訃報をネットで知ったけれど、まだ信じられない。作品集『EIKO by EIKO』を作り、彼女からとても信頼されていた私の元同僚(松坂静雄氏)も知らなかったという。
1月21日、膵臓癌で死去。「ニューヨークタイムズ」の死亡記事は早かったらしく、それを見たNY在住の知人から、みんなに情報が伝わった。
70年代パルコにいた私にとって、仕事上は身近な存在とは言え、石岡瑛子、三宅一生、田中一光の各氏らは、遠く仰ぎ見る巨星だった。
作品世界はもちろん、とくに魅き付けられたのは、日本の文化を世界に発信しようとする使命感だった。その原点は、敗戦だったのか、何だったのか……
石岡さんは70年代から創造的な挑戦を繰り返し、現在もなお挑戦の姿勢は変わることがなかった。草森紳一さんと同じ1938年生まれ。NYと電話でお話しした時のあの言葉、スパイラルでの力のこもった握手……。老いてもなおレ二・リーフェンシュタールのようにダイナミックな生涯を送られると思っていた。本当に寂しい。(というか、いまだ信じられない)
(1月13日にギンザ・グラフィック・ギャラリー開催の「田中一光のポスター展」で、当時のデザインのパワーを思い出していたところだ。
石岡さんの一番弟子の成瀬始子さん、田中先生の一番弟子の太田徹也さん、先生方に代わって、お元気で長生きしてください! 一生さんは、もちろんですよ!)
今日の草森紳一書き出し劇場は、石岡瑛子装丁の『悪のりドンファン』(1976年 フィルムアート社)を選びました。
巻末の文章「千年ふたたび朝あらず――日々の終末について」(1973年季刊『サブ』初出)はとても好きなものだ。
(本書の目次などは、草森紳一HP「白玉楼中の人」で見ることができます。見開きの画像はクリックすると大きくなります。)
PS お問合わせに。草森さんに石岡瑛子論はないのではないかと思います。パルコ論(「幻想の食事 ジャン・ジャック・ルソーとパルコ文化」・『見立て狂い』所収)はあるのですが。