草森紳一の蔵書寄贈先である帯広大谷短期大学の田中厚一教授から
うれしいメールが届きました。
6月8日、神谷忠孝氏(北海道大学名誉教授、北海道立文学館理事長)による講演が大学で開催され、蔵書整理プロジェクト十勝の皆さんはもちろん多くの参加者があり、大変盛況だったとのこと。(神谷先生は日本近代文学がご専門。草森さんとは中学校の同期で、蔵書寄贈についてもご尽力くださいました)
田中先生の簡略なまとめによりますと、
「十勝は、短歌が全国区の割に小説評論は不毛の地であった。戦後、福永武彦により新しい世界が開けてきたが、それでも弱い印象は否めない。
そんななか草森紳一は間違いなく北海道文学の一人であると言える。十勝モンロー主義という言葉があるが、これは育ったところが一番という、
そこから生じる閉鎖性をさす言葉であるが、同時にだれもやらなかったことをやるといったフロンティア・スピリットにもつながる言葉でもある。
草森はその意味で今日の文化を先取りした人物であったと言えそうだ。
草森のような人物が生まれる理由の一つに日高山脈があると思う。あの山の向こうになにがあるのか、といった想像力が働き、積極的に向こうの
空間に飛び出てみたいと思う衝動に駆られるからだ」
このようなお話が和やかな雰囲気の中で語られたとか。
十勝の歌人と言えば、帯広出身の中城ふみ子が有名ですが、草森さんも高校時代、短歌雑誌『辛夷』に寄稿しています。
風土の与える影響というものはおもしろいですねえ。
田中先生は、恩師・神谷先生の講演と蔵書整理の今後の活動もみすえ、以下のように書いて下さっています。
「草森紳一氏を郷土の誇りとして感じ得る土壌が少しずつ生まれてきたように感じます。
少々偏屈で、皮肉屋で、そしてかなりテレ屋さんだった人となりが少しずつではありますが見えつつあると言ってよいのでしょうね。
一方で、仕事に対する謹厳さはその残された蔵書からもうかがい知ることができます。
ボランティアの皆さんが執着されつつ仕事されるのも、彼のそんな執念のようなものに書物を通じて触れることができるからでしょう。
否、書自体が先生の存在そのものだったのかもしれません。
草森ワールドを体感できる環境が少しずつ整ってきました。あとはそこから何を引き出すのか。私たちに与えられた使命なのでしょうが、
この使命は実は至福そのものでもあります。音更の皆さんがそんな幸いを共有できることに感謝します。
また、いろんな地域の皆さんと共有したいとも願っています。またこのような機会を作っていきたいと思っています。」
本当にありがたいです!
講演会に草森さんのぞきにいらしてませんでした?