個人的なことで恐縮ですが、2019年はこれまで経験したことがないほど信じがたいことが次々起こり、よくぞ倒れないですんだものと思います。(疲労の極みの私に付き合ってくださった人、ヘルプしてくれた仕事仲間と娘に心から感謝です)。
そのような去年の夏、8年ぶりに帯広へ。帯広大谷短大に草森紳一記念資料室を再訪した2011年の冬以来です。東京は連日35度を超える猛暑だったのですが、帯広に着くと気温16度! 寒くて寒くてびっくりしました。
親子で出かけた今回の目的は、入院されている草森英二さんのお見舞い、短大の田中学長と吉田先生にごあいさつ、草森さんの同級生だった神谷忠孝氏の講演会「日本近代文学における十勝」聴講、主のいなくなった任梟盧(にんきょうろ)の見学等でした。
講演会当日、なんと札幌から帯広までのJRが事故で不通になり、神谷先生はかろうじて間に合ったものの、『明日の王』の嵩文彦さん他、出席できない方々が多く出たようです。そんな事情からでしょうか、草森紳一については、やや時間切れになり残念でした。
夕方には、回想集『草森紳一が、いた。』にも執筆して下さった懐かしい及川裕さん、吉田政勝さん、十勝の蔵書ボランティアの木幡代表、高山さん他の皆さん、それに任梟盧の今後を心配してくださっている米山将治氏(画家・詩人・神田日勝美術館初代館長)も一緒に会食。うなりながら頭を悩ませながらも、地元の方々の温かさ、関心の深さを強く感じた一夜でした。
翌日は、JRが動いて札幌から来ることができた英二さんの娘さんの案内で入院先の病院へ。 私は英二さんとお電話で話すとき、“不死身の人”と呼んでいました。家を継がなかった長男に代わって音更(おとふけ)の実家を守り、ご夫婦で長くお母様を介護され、お父様も看取り、そのあと、奥さん、草森紳一、お姉さんと次々に亡くされた後も泰然とされていて、「生きてるうちは任梟盧の本をずっと読み続けたい」とおっしゃって、なんとなく不死身の英二さんと思っていたのです。(門前仲町と音更と、両方に仙人がいたわけですね)
8年ぶりの英二さんは、少しやせられたものの、不死身に変わりなく、お元気そうで、みなで1時間近く楽しくおしゃべりをしました。
帰京後は、再びひどい酷暑の中を事務所の移転先探し。幸運にも縁があったとしか言えない便利な場所を見つけて契約。
10月大型台風とともに、草森さんの慶応大学講師時代の教え子きなこさんがドイツから来日―――
10月以後のことは、また改めてお伝えします。思い出すだけでも息切れがするので!