その先は永代橋 草森紳一をめぐるあれこれ

「もの書き」草森紳一の蔵書約3万冊は、2009年11月故郷の帯広大谷短期大学に寄贈されました。 このブログでは、以後の草森紳一関連ニュースをお伝えしていきます。写真 草森紳一

「もの書き」草森紳一の蔵書約3万冊は、2009年11月故郷の帯広大谷短期大学に寄贈されました。このブログでは、以後の草森紳一関連ニュースをお伝えしていきます。 写真 草森紳一

作りたかった本と、出来上がった本と。

アレレ?
草森さんの著作の数を調べていたとき、回想集『草森紳一が、いた。』の巻末に掲載した著作一覧の数と、
HP「白玉楼中の人」の著作目録の数が合わないことに気付いた。
校正ミスなら困った!と思いつつ、付け合わせをしてみる。
HPの方に訳書『史記』を掲載しなかったのを覚えていたが、『アトムと寅さん』が落ちているのを発見。
どうしてなのか……対談だからか、いや、HPを作ってくれていた円満字さんに私が省いて下さいと言ったのかもしれない。
草森さんにとって納得できない本だったから。

本書の企画がスタートしたのは、2002年の春頃。
草森さんの(私にとっても)旧知の編集者が四方田犬彦さんと親しく、
四方田さんの草森さんに会いたいという意向をきっかけに対談へと話が広がっていった。
「日本的壮大」というテーマを草森さんから聞いたとき、興奮した。
出口王仁三郎内田吐夢西郷隆盛手塚治虫、車寅次郎(渥美清山田洋次)。
お〜すごい!! 日本の近代から現代に至る巨星を採り上げた、かってない日本人論。
私は四方田氏のファンでもあったから、お二人が向き合った写真と、
多彩な資料をダイナミックにレイアウトした造本イメージまでが浮かんだほどだ。

しかし、対談原稿の手入れはいつ終わるとも知れず……難産となる。
決まっていた出版社の経営不振と担当者の退職も重なる。
今思い出しても、企画の発端を作ったフリー編集者の苦悩はいかばかりだったかと思う。
フリーであれば、生活が立ちいかなくなる。
そして結局、2005年に寅さんと手塚治虫の部分だけをまとめて河出書房新社から出していただけることになったのだった。

蔵書整理のときに出てきた草森さんのメモ。
「乾坤一擲」((けんこんいってき。天と地をかけた大勝負)等の文字に、
壮大なる構成の最初の思いとはあまりにも隔たる本になった草森さんの心中が思いやられるのだ。


著者たちと編集者の間を行き交った原稿の、ほんの一部。

崩れた本の山の中から 白玉楼中の人