『風の王 砂澤ビッキの世界』(響文社・2001)を偶然ネットで見つけ、購入したのは何年前だったか。
壮大な原始の世界を思わせる巨木の彫刻で有名なアイヌの人、砂澤ビッキ。
表紙をめくると扉には、風の王者そのものの見事な肖像写真。続いて不思議な形状の作品群。啓示にあふれる刺激的な評伝で大切にしている。
この『風の王~』の著者柴橋伴夫氏が、『雑文の巨人(マエストロ) 草森紳一』を書かれるなんて、一体どこに、どんなご縁があったのだろう。
その過程は『迷宮の人 砂澤ビッキ』(共同文化社・2019)に章を設けて詳しく語られている。
(第六章は、1鬼才 草森紳一、2「本の森」、3「任梟盧」、4嵩文彦、5「任梟盧」の「蛾」)
音更(おとふけ)の書庫「任梟盧」(にんきょうろ)が1977年に完成したとき、草森さんの友人嵩文彦氏(医師、詩人)が、お祝いに砂澤ビッキの彫刻をプレゼントし、ビッキ夫妻が音威子府(おといねっぷ)から搬入にやってきて、米山将治氏(詩人・画家・神田日勝記念館初代館長)らみんなで酒宴をやったそうだ。 まるで映画の1シーンのように思える。
嵩氏からこの話を聞いた柴橋氏は、早速、任梟盧で砂澤ビッキの「蛾」を見学され、任梟盧の建築と9メートルの塔内の蔵書群にも幻惑されて、草森論に着手することになったらしい。
私たちにとっては待望の草森論につながるありがたい出会いだった。
いま、急に伊福部昭氏のことを思い出した。30年余り前、「ゴジラ」などの音楽で有名な伊福部氏を取材していた青年から、本にしたいと相談を受けたことがあった。本当に残念なことに他の仕事と重なり、お役には立てなかったけれど、後になって、伊福部少年が育ったのは音更村だったことを知る。音更でアイヌの音楽に影響を受け、あの不思議な作品群が生まれたのだった。(この取材は、『伊福部昭 音楽家の誕生』(木部与巴仁著・新潮社・1997)として出版された)
天地をつなぐような、力強くけた外れの作品を生みだす北海道の芸術家たち。十勝の風土が、一人一人にどのような影響を与え、その感性と創造力を育んでいったのか興味が尽きません。
(思い出すとすぐズレる。すみません・・・)