その先は永代橋 草森紳一をめぐるあれこれ

「もの書き」草森紳一の蔵書約3万冊は、2009年11月故郷の帯広大谷短期大学に寄贈されました。 このブログでは、以後の草森紳一関連ニュースをお伝えしていきます。写真 草森紳一

「もの書き」草森紳一の蔵書約3万冊は、2009年11月故郷の帯広大谷短期大学に寄贈されました。このブログでは、以後の草森紳一関連ニュースをお伝えしていきます。 写真 草森紳一

長谷川集平君は長崎で

 
前回、草森さんの回想集にご執筆頂きたいと思いながら消息が分からなかった金子喬彦さんのことにふれました。
長谷川集平さんも、消息が分からなかったお一人。
つい先日、友人のフェイスブックで偶然お名前を発見。メールを差し上げると、即ご返事がきました。ほんとうにスゴイ時代ですねえ。

長谷川集平さんは、ご存知の方も多いでしょう。『はせがわくんきらいや』『トリゴラス』『およぐひと』などで知られる絵本作家。
草森さんの「アサヒグラフ」での連載「現代の浮世絵 イラストレーションの魔力」にさっそうと登場したことをよく憶えています。1978年6月9日号で、彼は23歳でした。
(左の写真はスクラップブックからです。破れるといけないので、このようにしか撮れません。なにせ35年経っているのですからね)

長谷川さんからの返信メールには、「草森さんはぼくの絵本を最初にきちんとした言葉で捉まえてくださった。『トリゴラス』を「少年の鬱屈した凶暴性」と。定義とはああいうことなのですね。評論状況の貧しい今、とてもなつかしく思います。」とありました。

1991年からは長崎に住んで、ロックミュージシャンとしてライブもやり、絵本も書き、月刊「こどもの本」ではこの11月号からエッセイも連載するなど、ますますご活躍です。

70年代当時、彼はすばる書房で働いてもいたのですが、お付き合いの程度もはっきりせず、気になりながらもご住所も分からず、執筆依頼をできませんでした。私自身との接点がいくつもあることが、あとでわかりました。(同郷、高校の後輩、共通の友人たちなど)

もっとよく調べていればねえ……ごめんなさい、集平君!


左は「シューへー通信」74号。(B6判24頁の手作り冊子 年4回発行・1000円/年)
ご本人による「絶版本を語る」という特集に、「アサヒグラフ」の草森原稿も掲載されていて、とてもおもしろいです。
ご興味がある方は長崎のシューへ―ガレージ迄 garage@cojicoji.com 。 HPは、www.cojicoji.comです。

崩れた本の山の中から 白玉楼中の人