見出しは、「週刊読書人」(2013年6月28日号)に掲載された『李賀 垂翅の客』の書評(円満字二郎氏)タイトルです。
武田泰淳、30歳のときの名著『司馬遷』と、草森紳一27歳〜37歳のときの未完の連載である本書を比べながら書きすすめられています。
古典はときに青春を吐露する題材として選ばれることがあるが、逆に言えば、ある特別な才能を持つ人間が、体力と感性の限りを尽くしてある書物を読み込むとき、その“書物”は、古典となるとも言える。草森も長大な原稿によって李賀の詩がまぎれもなく古典であることを証明したと。
文末はぐっときましたね。
「〜〜原稿の完結は、夢物語ではなかったか。青春とは、気がついたら終わっていて、二度と戻ってはこないものなのだから。そう考えると、本書は、これ以上ないほどふさわしい形で“完結”しているとも思えるのである。」
(記事について知ったのが遅かったため、掲載号はもう店頭にありません。申し訳ありません!)