気がつくと、6月。早いものです。
ちょうど3年前の6月11、12日は、草森紳一が住んだ門前仲町のマンションからとある倉庫へ本たちを引っ越しさせた日です。
5社の引っ越し屋さんに見積もりを依頼したのですが、2社からはお引き受けできませんと言われる始末。
7階のマンションのドアを開くと、目の前に本たちや未開封の荷物などを積み上げたもう一つのドアが立ちはだかっている――そんな状態でした。
草森さんの発見者の一人、編集者のNさんは「本はいっぱいでも、草森さんなりの区分けや整理ができていたと思う。それが亡くなってから複数の人が入り、荒らされたという印象です」と言われました。
4〜5万冊はあるのではと言われた物量です。床は本で埋もれて見えず、崩れた本は大きな山となり谷となって、危険な深くて暗い洞窟を探検しているようでした。
呆然とするだけの日々のなかで、遺族で話し合い、とにかく「引っ越し・整理」と方針を決めました。目標は一括寄贈。それが難しいなら、副島、文革、マンガなどまとまった資料の一部寄贈。そのためには何があるのか知るために、蔵書整理をしなければ!と。
引っ越し前の作業は――素人考えですが、単純です。2DKの間取りを描いて各パートに分ける。廊下の床の本を1、廊下の右手本棚は2(A〜D)、台所の周辺は3(A〜D)、台所は4、寝室は右手、奥、左手、押入れに分けて〜〜書斎は〜〜といった具合です。
本の位置も記録にとっておこうと、天上から床まで、入口から奥へと、デジカメで撮影していきました。足元がおぼつかないので、なかなかうまくいきませんでしたが。
そして、それぞれのパートを色分けして、引っ越し屋さんの段ボール箱にパートの番号と色分けテープを張り、その場所にあった本を入れて……(ほとんどの本は、雪崩の如く崩れていたわけですから、あくまで大雑把な区分です)。
埃だらけの本を段ボールに詰めては運ぶ引っ越し屋さんの敏捷な活動は、まったく感動的でした。
そして、倉庫に運び込んだ800余りの段ボール箱は、色ごとに同じパレットに積み上げられました。
倉庫での初日は、6月13日。内輪とボランティアを入れて11名が集合。14日は、早稲田大学の島研究室からの7名が加わり、計22名。
作業は、まず段ボール箱から本を取り出す→台の上であらあらのジャンル分けをする→段ボール箱に詰めなおす→ジャンルを書いた紙を置いてパチリと撮影→ふたをする→ジャンルの紙を張る→段ボールの箱を同ジャンルのパレット台に積む。
早稲田の方々の目的は、副島種臣の資料探しでした。幕末、明治維新、外交史などは、マンション奥の書斎、右手にあったので、黒のテープを張った箱です。それらは倉庫の一番奥に積み上げてあったため、彼らは一番奥で作業を進めました。
5月11日付の「蔵書整理の季節を過ぎて」では、ボランティアのみなさんとの写真を載せました。のどかないい感じですけれど、現実は、猛暑をひかえた冷房もない倉庫での埃まみれの力作業で、本当に大変でした。みんな頑張ることができたのは、「どんな本が現れるのか!?」というドキドキワクワクの楽しみがあったからですよね!
(こんな段ボールの箱が約800箱になり、目録入力をしながら整理をした731箱を帯広大谷短大に寄贈しました)