2DKの永代橋のマンションに約3万冊。足の踏み場もない、寝る場所すらおぼつかない部屋の中で、これから先を草森さんはどう考えていたのだろう。
草森さんのことを心底心配して知り合いの病院に入院させ、3日で出てしまわれた親友の大倉舜二さんは、「あいつには何を言ってもダメだ、手も足も出ない」とおっしゃっていた。
吐血の後、話し合ったことがある。「3回ぐらい死にそうになった。歩く空間もないから。こっけいなマンガのような日々だね。本の処分は考えないではないけれど、俺の仕事の仕方だから。生き方とつながっているから、困るんだよ。本は俺のからだの一部、交感しているから。北海道の書庫の本だって、在ることだけで意味がある。生命力を与えてくれているんだ」。
ただ、2、3年先には引っ越しを考えていると言われた。隅田川の川べりのこのマンションの目の前に高いビルが建設中で、風景が変わってしまうからと。
引っ越し先は、「小田原がいいけれどね……5000万あればね」。冗談だったのか、本気だったのか。(いや、もちろん両方ともに真剣)
そう言えば80年ごろ、赤羽橋のマンションから引っ越すときも「小田原はどうかな」と言われた。70年代の中頃には神戸の海の見える丘の上に隠れ家があったそうだ。いつか小田原で、という気持ちがあったのだろう。なぜかは聞きそびれたけれど。