その先は永代橋 草森紳一をめぐるあれこれ

「もの書き」草森紳一の蔵書約3万冊は、2009年11月故郷の帯広大谷短期大学に寄贈されました。 このブログでは、以後の草森紳一関連ニュースをお伝えしていきます。写真 草森紳一

「もの書き」草森紳一の蔵書約3万冊は、2009年11月故郷の帯広大谷短期大学に寄贈されました。このブログでは、以後の草森紳一関連ニュースをお伝えしていきます。 写真 草森紳一

バリ島プリアタンのケイコ・マンデラさんから

FBに投稿したものですが、草森ブログにも投稿します。

1986年に幼児も含む女6人でバリを取材し、本を作りました。当時草森さんは、『マハーバーラタ』を全部読んで行かないとだめよ、とおっしゃってましたが。

その時以来のプリアタンとのお付き合いです。

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バリ島プリアタン村のケイコ・マンデラさんから、基金のお伝えです。

皆様に伝えていただければと、心のこもったメールをいただきました。

(文末にサイトをご紹介していますので、ご覧ください)

 

コロナ禍が長引く中、インドネシア・バリ島の人々の生活が激変し、先の見えない状況が続いています。

昔、『踊る島バリ』(現在、仲間と続編を取材中)で取材させていただいたプリアタンは、1931年パリ植民地博覧会に参加した国際的にも知られる芸能の村です。

プリアタンの芸術を愛する人たちが世界中から観光や勉強のために訪れていましたが、それも今は途絶え、儀式のための音楽や踊りの上演も十分にはできていません。

 

このような時代だからこそと、古典の演目の調査、復活を願って前向きの活動が始まったそうです。

下のパンフレットの表紙(1985年日本初公演)は、バリス(戦士)を踊るオカさん。すばらしかったこの公演を覚えている方もいらっしゃることでしょう。

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当時まだほんの若者だったオカさんが、いまやプリアタン歌舞団の団長となり、バグース・ケイコ夫妻と一緒に、父マンデラ(グンカ)の夢を実現するための活動を続けています。

バリ芸能の豊穣の世界が生き続けるよう、舞踊や音楽に携わる人達の生活を支えるための販売にぜひご協力をお願いできれば幸いです。

ケイコさんとEASEからのメッセージサイトをご紹介します。

https://kmanderaease.thebase.in/

 

(以下はFB投降後のケイコさんからのコメントです。お気持ちが伝わるので、敢えてアップします。カンパの場合は、晴美制作室までinfo@harumi-inc.com)

「ありがとうございます。世界中が大変で、世界中の人が何かをしたいと思っているとも思うのです。そして、”助けて、、”と悲鳴をあげている人もいる。それぞれの場所で、それぞれに自分のできることをできる形で助け合えたら良いと思います。

私はひとまずバリ島でこのPeliatanを中心として頑張りたいと思います。素敵なそして意義深い本『踊る島バリ』を作り上げてくださり、ありがとうございます。多くのバリファンのバイブルだと思います。私もこの本だけはずっとベット横のサイドテーブルに置いてあり、迷い悩むと読み直します。私がしようとしていることが間違いでないか?この考えはどうなのか? グンカ(義父)に尋ねています。そして今回のご紹介文もありがとうございます。感謝!」

十勝から「草森通信15号」です!

12月の初めに音更からお送りいただいていたのに、ご紹介が遅くなって誠に申し訳ありません!

 今年はコロナ禍のため仕事の段取りがなかなか難しく、加えてPCの調子がまたまた悪く(私がPCの進化についていけないだけなのですが)、いろいろ重なって、心身ともに

追われる日々になりました。

 

今夜やっとアップしようとしましたら、メールが見つからない・・・

再度、蔵書整理プロジェクト十勝の高山さんにお願いして、再送信していただきました。ありがとうございます。お手数をおかけしました!

 

15号と、他のニュースも一緒にアップと思ってしまうので、ついつい遅くなるのですね。今回は通信のみを。

 レポートによれば、コロナで危ぶまれていたものの、第3回「歴史」蔵書展は、音更図書館と帯広市図書館で予定通り開催されたようで良かったです。本当に展示が充実してきているように感じます。

 今号には私が初めて草森紳一という著者を知った『子供の場所』が採り上げられています。通信も密度が高くなっていきますね。 来年も楽しみです!  

 

あらゆることの転換期ですけれど、日々の生活を大切に、まっすぐに、何とか乗り切ってまいりましょう。

 どうぞ皆さま、くれぐれもご自愛くださいませ。

2021年、少しでも明るい年になりますように。

 

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歴史的な「文芸おとふけ」に、草森紳一の特集です!

 コロナの第3波が拡がりつつあります。みなさん、お変わりないでしょうか。

とくに北海道の札幌と十勝には、草森さんのご友人たち、また蔵書整理でお世話になっている方々が多いのでとても心配です。

みなさん、くれぐれも、くれぐれも、お気をつけて過ごされますように。こちらでも気をつけます!

 

今回は、北海道の文芸誌「文芸おとふけ」に草森紳一特集!のニュースです。

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上はグラビアページ。書庫「任梟盧」(にんきょうろ)の内部。     

 

「文芸おとふけ」は、音更町文化協会が年一回発行しているもので、50年余り続く大変歴史的な文芸誌。52号の制作にあたっては、コロナのために編集会議もなかなか開けず、たいへんご苦労なさったとお聞きしました。

特集は20ページ分。故郷の同級生や友人たちによる熱い思いのこもった文章ばかりで、草森さんの学生時代が浮かび上がります。2021年にも、草森特集が続くそうです。

それにしても、このような地域に根ざした文芸誌には、書くことの原点があるなあとしみじみ感じました。

編集委員の皆様、ご担当いただいた内田様、ありがとうございました。

 十勝毎日新聞2020年10月24日 f:id:s-kusamori:20201119153134j:plain目次5ページ分をご紹介します。特集は1ページ目です。

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  • 「文芸おとふけ」52号をご希望の方は、

info@harumi-inc.com  (草森紳一蔵書整理プロジェクト)まで

お問い合わせください。

「文芸おとふけ」は1冊500円(送料込700円)。品切れの場合はご容赦ください。

 

 ●悲しいお知らせです。

帯広大谷短期大学の元学長、中川皓三郎先生が先月10月20日ご逝去されました。

大変ショックです。草森紳一の蔵書寄贈につきましては、多くの方々からご助力をいただきましたが、中川学長のご見識とご英断なくしては実現は難しかったと思います。

大谷真宗派の仏教学者でいらっしゃいました。おおらかで温かいお人柄が思い出されます。

深い感謝を込め、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 

以下は、蔵書を活かす展覧会の告知記事。偶然ですが、中川元学長の亡くなられた日ですね。

写真の背景は、大谷短大のなかに設けられている「草森紳一記念室」です。

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去年の10月は、台風とともにドイツからきなこさん来日!  

  今年はコロナに伴って次々と大きな出来事が起こり、怒ったり、悲しんだりしているうちに、アッという間に1年が終わりそうです。来年はどうなるのでしょうか。なんとか楽しく乗り切りたいものです。 

 去年の今ごろは、大型台風19号が東京を直撃するというので戦々恐々の日々でした。

   田園都市線二子玉川の近くでも川が氾濫して水が出たのですが、駅から10分の坂口さん(仕事仲間)のご自宅に引っ越し荷物を置かせていただいていたため、彼女は迫りくる水の防災情報を聞きながら、貴重な草森資料が入ったいくつもの段ボール箱を一人で地下から2階に避難させたと言います。重かったでしょうに!本当に感謝!!

  そんなすさまじい暴風雨とともに日本にやってきたのが、草森さんの神戸時代のガールフレンドきなこさんでした。

 中国の方で、慶応講師時代の草森さんの教え子。また日本での身元引受人は李賀の研究者原田憲雄先生です。きなこさん(江綺娜)に回想集『草森紳一が、いた。』に寄稿していただいた折には、原田先生にも大変お世話になりました。

 きなこさんに初めてお会いしたのは、2018年ドイツの高校生たちの引率で来日されたときで、ランチをご一緒する時間しかありませんでしたが、すぐ打ち解けて娘共々猛烈おしゃべり。とてつもない生活力と知性とかわいらしさと霊感に魅せられて、次回はぜひ泊りに来てねとお伝えしてあったのです。

  そして2019年10月末、台風一過の翌日、永代橋を3人でそぞろ歩き。

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当時、永代橋は改装工事中。覆いがクリストの作品のようで美しい。しかし隅田川の水量がここまで増水していたとは。

 草森さんが住んでいたマンションにも案内すると、なんとエントランスが改修されてオートロックに変わっていました。 お世話になった管理人さんにもお会いしたかったのにショック~~!と言い合ったその数秒後、ドアが開いて、中から出てきたのは着物姿の深川芸者とおぼしき年増の女性。私たちはスルリと中に入ってエレベーターで7階へ。草森さんが終の棲家から日々眺めていた永代橋を、きなこさんにお見せすることができたのでした。

  久々の草森マジックは、あちらからのきなこさんへのサービスでしょう! しかも深川芸者をあしらうなんて、草森好みです。大柄な女性で時代遅れのマスカラ・メイクでじろりと見下されたときの視線は忘れられません。

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左から:水嵩の増した墨田川。 大きなマンションが建って永代橋が見えない。建つ前に引っ越ししたいと草森さんは言われていたが・・・  

 門前仲町散策の数日後、有楽町の「炉端」できなこさんを囲む女子会。店主の井上さんも、ばばみやこさんもお変わりなく、楽しい会でした。

 慶応大学中国文学科の岡晴夫先生(草森さんの1年後輩)は、彼女のことを「よく憶えてますよ~!」と。ちょうど朝日ホールで公演中の越劇の世話人でいらしたので、きなこさんも観劇に行かれて40年ぶりの再会を果たされたのでした。

  今年はコロナの影響で、きなこさんの来日はかなわず残念でした。来年を楽しみにいたしましょう!

 

今年の草森蔵書展は11月、音更町図書館と帯広市図書館で。

十勝の蔵書整理プロジェクトから、第三回蔵書展のニュースが届きました。

 

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第一回は2018年、「写真」がテーマで、有名無名の写真家による貴重な写真集が並び、NHKでも採り上げられたのでした(8月/帯広市図書館、10月/音更町図書館)。

第二回は2019年、浮世絵や画集などの大型本が131冊。自由に手に取っても良いので、さぞ見ごたえがあったことでしょう(6月/音更町図書館、8月/帯広市図書館)。

第三回目の今年のテーマは「歴史」。約130冊が展示されるということです。

どんな本が並ぶのでしょうか。興味深いですね。お近くの方は、ぜひ!

 (1/230は、寄贈された約32000冊の蔵書の中から1/230を展示しますの意です)

 

企画の帯広大谷短大教授の吉田先生、情報をお送りくださった蔵書整理の高山さん、いつもデザインとデータを作成して下さる短大の司書・加藤さん、ありがとうございます!!

 

『雑文の巨人 草森紳一』(柴橋伴夫著)、南陀楼氏による書評です!

   編集者・ライターとして活躍する南陀楼綾繁さんが「読書人」(6月12日号)で書評をされていたことを芸術新聞社の相澤様からお教えいただいた。ご本人にご連絡をすると、「書店でこの本を手に取って、ぜひ紹介したいと思って読書人に打診しました」とのこと。「読書人」の許可をいただいたので、貼り付けます。

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WEBのリンクもあります。https://dokushojin.com/review.html?id=7250 

 南陀楼さんは、ご存知の通り不忍ブックストリート一箱古本市の企画者でもあって、「草森紳一蔵書整理プロジェクト」がスタートした翌2009年、まだ寄贈先も混沌としているときに取材をしてくださっています。その時の記事も下に。掲載は、今はなき「彷書月刊」(2009年6月号)です。

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  「彷書月刊」の掲載誌が見つからないので、草森紳一の特集が組まれた2009年10月号の表紙を貼り付けます。取材に来てくださった発行人の田村治芳氏との長話、お世話になった編集部の皆川秀氏も、懐かしい。

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 「彷書月刊」を探して未整理の段ボール箱を開けたら、「フリースタイル」(2012年4月10日号)の表紙が目に入りました。仲俣暁生さんの『とぶ船』(ヒルダ・ルイス著)についてのエッセイを読みたくて買ったんだったわね、と手に取ると、仲俣さんの文章は載っていなくて、南陀楼さんの文が見つかりました。

 「読まなくても残るもの――草森紳一さんのこと」というタイトル。そうか、草森さんとの出会いはそうだったのか・・・人の歩みが見えますね。

 

 そしたらナント、「フリースタイル」のすぐ下から、『季刊・本とコンピュータ』が出てきて、門前仲町の喫茶店「東亜」で南陀楼さんが受け取った草森原稿を発見!

なんということ! すべてご紹介しなければ。

 隣り合う原稿の切り抜きができないので、申し訳ありませんが、かえって見開き感があって良いかと思います。 

 しかし、草森マジックは現在も健在ですねえ。

 

●以下は「フリースタイル」(2012年4月10日号)から。

「読まなくても残るもの――草森紳一さんのこと」南陀楼綾繁

                                 (『町を歩いて本のなかへ』原書房・2017に収録)

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 ●以下は『本とコンピュータ』1998年夏号から。「新聞題字」蒐集狂 草森紳一

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(間違いやお気づきのことがあればお教えいただければありがたいです)

 

嵩文彦 × 砂澤ビッキ × 柴橋伴夫は?

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『風の王 砂澤ビッキの世界』(響文社・2001)を偶然ネットで見つけ、購入したのは何年前だったか。

壮大な原始の世界を思わせる巨木の彫刻で有名なアイヌの人、砂澤ビッキ

表紙をめくると扉には、風の王者そのものの見事な肖像写真。続いて不思議な形状の作品群。啓示にあふれる刺激的な評伝で大切にしている。

  この『風の王~』の著者柴橋伴夫氏が、『雑文の巨人(マエストロ) 草森紳一』を書かれるなんて、一体どこに、どんなご縁があったのだろう。

その過程は『迷宮の人 砂澤ビッキ』(共同文化社・2019)に章を設けて詳しく語られている。

(第六章は、1鬼才 草森紳一、2「本の森」、3「任梟盧」、4嵩文彦、5「任梟盧」の「蛾」)

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 音更(おとふけ)の書庫「任梟盧」(にんきょうろ)が1977年に完成したとき、草森さんの友人嵩文彦氏(医師、詩人)が、お祝いに砂澤ビッキの彫刻をプレゼントし、ビッキ夫妻が音威子府(おといねっぷ)から搬入にやってきて、米山将治氏(詩人・画家・神田日勝記念館初代館長)らみんなで酒宴をやったそうだ。 まるで映画の1シーンのように思える。

 嵩氏からこの話を聞いた柴橋氏は、早速、任梟盧で砂澤ビッキの「蛾」を見学され、任梟盧の建築と9メートルの塔内の蔵書群にも幻惑されて、草森論に着手することになったらしい。

私たちにとっては待望の草森論につながるありがたい出会いだった。 

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書斎に飾られた砂澤ビッキの蛾。門前仲町の守り神はタイガー立石の虎の絵だった。
任梟盧の守り神はビッキさんの大蛾。(撮影:箕浦伸雄)

 いま、急に伊福部昭氏のことを思い出した。30年余り前、「ゴジラ」などの音楽で有名な伊福部氏を取材していた青年から、本にしたいと相談を受けたことがあった。本当に残念なことに他の仕事と重なり、お役には立てなかったけれど、後になって、伊福部少年が育ったのは音更村だったことを知る。音更でアイヌの音楽に影響を受け、あの不思議な作品群が生まれたのだった。(この取材は、『伊福部昭 音楽家の誕生』(木部与巴仁著・新潮社・1997)として出版された) 

 

 天地をつなぐような、力強くけた外れの作品を生みだす北海道の芸術家たち。十勝の風土が、一人一人にどのような影響を与え、その感性と創造力を育んでいったのか興味が尽きません。 

(思い出すとすぐズレる。すみません・・・)

 

崩れた本の山の中から 白玉楼中の人