その先は永代橋 草森紳一をめぐるあれこれ

「もの書き」草森紳一の蔵書約3万冊は、2009年11月故郷の帯広大谷短期大学に寄贈されました。 このブログでは、以後の草森紳一関連ニュースをお伝えしていきます。写真 草森紳一

「もの書き」草森紳一の蔵書約3万冊は、2009年11月故郷の帯広大谷短期大学に寄贈されました。このブログでは、以後の草森紳一関連ニュースをお伝えしていきます。 写真 草森紳一

『雑文の巨人 草森紳一』の書評です(2)

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群馬の詩人・作家の愛敬浩一氏から「季刊 詩的現代」(33号)をお送りいただきました。ありがとうございます!

『雑文の巨人 草森紳一』(未知谷刊)の書評が掲載されています。

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愛敬様からの初めてのご連絡は、回想集『草森紳一が、いた。』のご注文でした。

その後、「い」という文芸誌をご送付いただき、それには「草森紳一という「穴」、もしくは「穴」のなかの草森紳一」という草森論が掲載されていて、ニヤリとしてしまいましたが、もう10年近く前のことになるのですね。(このブログの2011年8月4日に「い」について紹介)

「詩的現代」(25号)には、「草森紳一が私の「頭」に棲みついた」と題した『明日の王』(草森紳一・嵩文彦共著)の評論も。(ブログ2018年7月14日紹介)

 現在は、草森さんの友人、嵩文彦氏が発行されている個人誌「麓(ろく)」に、「草森紳一の『散歩論』」を連載中とか。まとまるのが楽しみです。

 

「詩的現代」33号の特集は、ブレヒトです。興味深いので目次もご紹介します。

(お問合先は文末に)

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なんと、書評『雑文の巨人』の前ページには大手拓次についても書かれています。

つい先日、まだまだ50箱ばかり東京に残っている草森紳一遺品の段ボール箱を「如何せん如何せん」とのぞいていましたら、大手拓次の資料(「詩日記と手紙 大手拓次遺稿」昭和18年・龍星閣、「大手拓次 人と作品」松井好夫 1967年 他)がありました。岩波文庫大手拓次詩集」(原子朗編 1991年)の扉には、お気に入りに押される蔵書印があったので、その写真をおまけに貼り付けます。

(調査進行中の「草森執筆リスト」の検索には出て来ないので、草森紳一大手拓次について書いたのか、発表されたのかどうかは今のところ不明です)。

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◎「詩的現代」へのお問合わせ、ご注文は下記へ。

編集部 372-0817群馬県伊勢崎市連取本町5-5 愛敬浩一方 詩的現代編集部

発行所 370-2314群馬県富岡市田篠1280-35 樋口武二方 詩的現代の会Ⅱ

郵便振替 00190-1-789929 樋口武二

定価 600円(年間購読2400円・送料含)

『雑文の巨人 草森紳一』(柴橋伴夫著・未知谷刊) 初の草森紳一論集です!

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  今年は、草森紳一の十三回忌に当たります。亡くなったのは、2008年3月19日(と思われます)。前日まで編集者とやりとり、当日の明け方も近くのコンビニに。門前仲町の自宅で急逝でした。

  3月になんとか間に合わせたいという、草森の親友嵩文彦氏(札幌在・『明日の王 詩と評論』の共著者)と、著者の柴橋氏(札幌在住の詩人・美術評論家)の思いによって、2020年3月末、草森紳一の著作を論じた初の評論が出版されました。

  以下は目次や書評、著者の言葉など。書評は次回以後もご紹介していきます。

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目次

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第一章は、生い立ちと短歌雑誌「辛夷」の出会いから

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十勝毎日新聞より

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北海道新聞より

 

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十勝毎日新聞2020.3.30

 

この他の書評は追ってご紹介いたします。

十勝から。「草森通信」13号、14号をまとめてご紹介!

フェイスブックでは、十勝からの「草森通信13号」(3月31日発行)を4月にご紹介したのですが、ブログでアップする余裕がなくドタバタしていましたら、「草森通信14号」(8月31日発行)も出ました。今回は、2号まとめてご紹介いたします!

 

14号の冒頭は、ボランティア代表の木幡裕人氏。どういうご縁か、東京での編集者時代に、草森さんから原稿をいただいたことがあると。(出版社がつぶれたので1回きりだったそうですが)

その原稿コピーもご紹介しようと思いましたが、昨年来の引っ越し~コロナ禍などで、まだ段ボール箱の中。う~~ん、すぐに出すことができません。片付きましたら。

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以下は13号です。

13号の冒頭の執筆者、柴橋伴夫氏は、草森紳一についての最初の評論集となる『雑文の巨人 草森紳一』(未知谷刊)を3月に出されました。(ブログでは、また改めてご紹介させていただきます。)

2Pの執筆者の愛敬浩一氏は、時々このブログでも原稿をご紹介させていただいていますが、『季刊 詩的現代』(詩的現代の会刊・群馬県)の編集人。豪華!。

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草森英二さん亡きあとのコラム、今後の執筆者も楽しみですね。

その他は 蔵書整理ボランティアのおなじみの皆さんに、〆の吉田先生のコラム。

いつも楽しみです。データ管理の短大の加藤さん、送信の高山さんも、ありがとうございます!

また、「文芸おとふけ」(音更町文化協会)の次号は、<草森紳一特集>というニュースも入ってきています。楽しみに待ちましょう!

 

 

北海道の「スロウ」夏号で、 田中学長が語る「草森紳一蔵書プロジェクトの意義」

 豪雨災害にコロナに熱波襲来と、2020年はかってない年になっています。

皆さん、お元気でしょうか。

くれぐれもお気をつけて。なんとか乗り切ってまいりましょう。

 

 先日、帯広大谷短大の吉田先生から、オシャレな雑誌をお送りいただきました。

 北海道の自然と人と生活、ユニークな店や物を紹介する通販付きマガジンです。

名前は「スロウ」。若い人たちの暮らしぶりが新鮮で、写真やレイアウトも美しく、誌面を見ていると北の国のさわやかな風が吹いてくるよう。

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この夏号に、帯広大谷短大の田中厚一学長が採り上げられ、なんと5ページ分も草森紳一について語って下さっています。

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最初の見開きページ
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「本が崩れる」の生原稿やノートなども。続く見開きと最終ページ。

ご取材下さった高原淳さん、田中先生、吉田先生、ボランティアの高山さんはじめ皆さん、ありがとうございました!

 

* お問合わせは、下記へどうぞ。

ソーゴー印刷「スロウ」編集部

〒080-0046 北海道帯広市西16条北1丁目25 

tel 0155-38-4188  fax 0155-34-1287   kunamaga@sogo-printing.com

https://www.n-slow.com/information

 「スロウ」編集部は、ソーゴー印刷さんの仕事を中心に活躍するユニットとか。雑誌だけでなく紙もの、webの企画制作に、読者と掲載者と編集者が集う秋のイベントもやっていらして(今年は残念ながらコロナで中止)、おもしろそうですね。

 

 

 

2009 草森蔵書整理スタートのころ

蔵書先はどうなる?

 私自身も寄贈先について動いていなかったわけではありません。

心配をしてアドバイスをくださる草森さんの友人や編集者の方のご紹介で、大学、文学館、企業などに足を運びました。

最初は一括寄贈を希望、そのうち、貴重なテーマだけでも(永代橋荷風文化大革命や、李賀関連など)、いや、やはり一括でと、遺族の気持ちも揺れ動いていました。

鶴本プロデューサーの展覧会と寄贈の構想も、楽しみにしていたのですが・・・

草森紳一蔵書整理プロジェクト」が暗礁に乗り上げたとき、

チラシ配布のアイデアを出して、印刷もして下さったのが清水ますみさんです。

矢崎泰久さんや中山千夏さんたちのお仲間の一人で、整理の最後の頃に知り合いました。「草森さんのために、なにかしたい!」と思われたに違いありません。

 

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出来上がったチラシ(色はグレーに変更)は、書店や喫茶店などに配布しましたが、清水さんのご近所の往来堂書店(東京・千駄木)に置かれたチラシを偶然手に取ったのが、北海道新聞社のI記者でした。

すぐに取材のご依頼をいただき、その記事が北海道新聞で掲載されて、事態は大きく動き始めるのです。

(左は、第一報の6月18日付北海道新聞、右は9月1日付十勝毎日新聞

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 北海道音更(おとふけ)に飛ぶ

 草森紳一の故郷、音更(おとふけ)町にある帯広大谷短期大学が関心をもってくださったのを知って、少しでも実物の本や資料を見ていただこうと仲間3人(整理の中心・円満字二郎さんと中森拓也さん、私)で帯広に飛んだのは、2009年7月、大学が夏季休暇に入る直前だったか、直後だったか・・・

音更町希望ヶ丘の、果てしなく広がる小麦畑の中に立つ帯広大谷短大で、中川皓三郎学長、田中厚一教授、永井事務局長にお目にかかり、和やかな歓談に、会食まで用意して下さった日のことをありがたく思い出します。

 

翌日は、帯広市内から十勝大橋をバスで渡って草森さんのご実家の庭に立つ書庫「任梟盧」(にんきょうろ)へ。もし寄贈の話が流れれば、お二人が任梟盧を訪れる機会は2度とないだろうと思ったからです。 

円満字さんと中森さんが、草森家の客間に入って来られたとき、ソファの英二さんが思わず背筋を伸ばし「おー、すがすがしい人たちだ!」と言われたシーンは忘れることができません。

(緑の樹々の中に立つ高さ9メートルの書庫「任梟盧」。左から中森さん、英二さん、円満字さん) 

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任梟盧を見学の後は、帯広市図書館へ立ち寄って、多くのご助言をいただいた吉田真弓館長にご挨拶。執務室で円満字さんが館長に、「本を開いて一冊一冊に感謝しながら、棺を閉じるような気持ちで奥付の入力をしていました」と話された言葉も憶えています。

 

一泊2日の音更行は、アッという間に過ぎ、結果がどうなるかは、まだまだ分かりませんでした。

そして2か月後の9月半ば、中川学長、田中教授、永井事務局長が東京に来られ、正式提案をいただきました。「一括寄贈を大学としても希望したいこと、保管場所については音更町と10月末をめどに協議予定であること、大学内に記念室を作りたいこと」等々。

万歳!! 3万冊余りの草森蔵書の行く先がめでたく決定したのでした。

 

そして2009年11月に3万冊の本たちは海を渡って、北海道音更の廃校に。一年後の2010年11月、帯広大谷短大に「草森紳一記念資料室」がオープン。

本たちの棺は閉じられなかった。

東京から蔵書整理の仲間たち8名も帯広大谷短大に駆けつけ、草森さんの本たちと再会を果たすことができたのでした!

 

続きは、ブログ「崩れた本の山の中から」〈蔵書をいったいどうするか 番外編5〉で。  https://kusamori-lib.hatenadiary.org/entry/20101211/1292020239

 

◎「崩れた本の山の中から」https://kusamori-lib.hatenadiary.org/は、草森蔵書の山の中から見つかった貴重な本、おもしろい本、好きな本をご紹介するブログです。

寄贈当時のことをリアルタイムで〈蔵書をいったいどうするか〉にもまとめています。

       今年は、昨年以上の自然災害にコロナ禍に、信じがたい政府対応の数々。

      蔵書整理は、ほんの10年前のことなのに、懐かしい。

      みんなで心を合わせて頑張れば報われた時代。

      変わりませんように!

 

 (とても悲しいお知らせです。

 草森紳一の弟、草森英二氏は、蔵書整理のボランティアの一人として協力され、ま た「任梟盧」の番人(及川氏の言葉)でもありましたが、2019年12月4日に逝去されました。8月にお見舞いに伺い、楽しくお話しさせていただいたのに本当に残念です。

また蔵書寄贈当時の音更町長、寺山憲二氏も2018年2月に逝去されていたことを知り、驚きました。草森紳一のことについては大変ご尽力いただきました。

お二人に感謝し、心よりご冥福をお祈り申し上げます。)

 

 

 

2008 草森蔵書整理スタートのころ

数万冊の本を前に

久々にブログを投稿し始めたら、いろいろなことを思い出します。

北海道の草森さんの故郷音更(おとふけ)では、現在も蔵書整理、展覧会、「草森通信」などの活動が継続しています。とてもうれしくありがたいことです。

音更町のご協力も得られて帯広大谷短大に寄贈が叶ったのですから、まるで奇跡のようでした。本当に皆様に感謝です。

 

今年は、草森紳一の十三回忌(命日は2008年3月19日)。早いものです。コロナ禍のために、法要を延期せざるを得なかったのが残念ですが。

 あれから12年。数万冊の本を前に、先の見えなかった東京での蔵書整理の始まりを振り返ってみたいと思います。

 

草森紳一の急逝後は、その去り方と膨大な本の量に、編集者の方も遺族も悲しむと同時にただただ呆然とするばかりで日々が過ぎました。

有志を募って蔵書整理がスタートしたのは、2008年6月。九段会館で開かれた「草森紳一を偲ぶ会」の少し前でした。

引っ越し屋さんの2トントラックのそばで、紫陽花が豪華に咲き誇っていたのを覚えています。(左端の写真は、マンション7階の踊り場から見える永代橋

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 本たちは、東京の門前仲町から高島平へ引っ越し。蔵書の整理場所は、駅から歩いて15分余りのところにある大きな倉庫でした。印刷屋さんの紹介で借りることができたのです。

草森さんの子供たち二人を中心に、編集者や、読者、友人たち、私の仕事仲間も加わっての整理作業。当時私は、遠距離介護の真っ只中でしたので十分に動けず、今日は何人集まるかしらとハラハラしたものです。

おもしろがりながら一歩づつ

 マンションの自室にあった本たちは、本棚からあふれ、天井に届くほどに2DKの室内をくまなく覆いつくすといった状態でした。草森さんの著書に『随筆 本が崩れる』(2005年文春新書、2018年中公文庫)がありますが、本書の中で語られているより、はるかに蔵書の分量が増えていたのです。

室内に入るのも容易ではない状態でしたが、芝公園から門前仲町に引っ越した当時は(1983年)、見事に片付いた部屋でした。男の人の整理能力と潔癖に、女はかなわないなあと恥じ入ったほど。その変わりように胸が痛くなりました。

 

引っ越しは、まず室内のブロック分けから始めました。草森さんは、しっかりジャンル別に整理していたはずなので、今は本の前後左右にさらに、さらに積み上げられているとしても、この辺りは、中国の原書、ここは写真関係、ここは近代文学、マンガ等々、推測することができました。

室内蔵書マップではないですが、➀大まかに室内をブロックに分けて、色分け→②色分けした段ボール箱に、その部分の本たちを入れるように引っ越し屋さんに依頼→③同時に、背文字だけ、装丁の色だけしか見えない各ブロックの本たちも、写真で撮影しました。引っ越し後に参考になるようにと。

倉庫での作業はまず、➀引っ越し屋さんの入れた段ボール箱から本を取り出す→②埃や汚れを落として、ジャンル毎に台の上にまとめる→③ジャンル毎に段ボール箱に入れ直す→④写真を撮る、という順序で行いました。

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みんなが集まるのは週2日の金曜と土曜。交通費は出しますとお伝えしていたのですが、経費も自前の完全無料奉仕だったと思います。10人に満たない日もあれば、20人を越えて「2日分はかどった~!」と踊る日もありました。まるで部活のような楽しい集まりでした。

猛暑とゲリラ豪雨の夏を過ぎて、8月末の整理終了日は偶然にも板橋区の花火大会の日! 倉庫会社の社長のご厚意で、ビルの屋上に座り込み、みんなで花火を見ながら打ち上げをしました。

 

ジャンル別段ボール箱は、この頃まだ数え切っていませんでした。のちに総数が731箱と分かり、その後、見つかった本も加えると735箱位になるでしょうか。

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蔵書整理が終わるころ、草森さんの知人の方から展覧会や寄贈先の具体的な話が出ていました。そこで、少しでも目録入力を進めよう、ホームページやブログも作ろうということになりました。アイデアを出して、以後の活動を担って下さることになるのは、草森さんの担当編集者だった円満字二郎さんと、元同僚の中森拓也さんでした。

(ブログ「崩れた本の山の中から」初回に宣言文があります。https://kusamori-lib.hatenadiary.org/entry/20081207/1228630774

目録入力は、倉庫の2階に移動。当時の重いノートパソコンを持参しての作業でしたが、それぞれ好みのテーマの段ボール箱を開けて入力に励みました。

ここは倉庫のため、机や椅子が全くないことに気がつきレンタル会社から借りたり。

倉庫料の支払いのためにも締め切りを設けての猛烈な作業でした。

左下の写真は、だれが作ったのか「穴」のテーマ! その箱に入れられた本たちです。

これらの本の奥付を開いて、書名、著者名、版元、出版年度などを入力していきます。

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蔵書整理第二部(目録入力)は、2008年9月にスタートしました。美しい紅葉の季節から、新年を迎え、本たちも冷たく入力する指も凍える雪の日も過ぎ、桜並木が見事な新緑に変わるころ、入力はほぼ終了。みんなの仕事や費用のこともあって、連休前には蔵書整理を終了させなければならなかったのです。

ところが、斬新な企画の展覧会も寄贈先も、草森さんの知人の著名なプロデューサーが動いて下さっていたにもかかわらず、今一歩のところで決定していませんでした。「草森紳一蔵書整理プロジェクト」は、目的を失い、暗礁に乗り上げてしまったのです。

                               (次回に続く)

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◎ブログ「崩れた本の山の中から」https://kusamori-lib.hatenadiary.org/d

整理中の一冊一冊にまつわるエッセイを円満字二郎さん、Living Yello(中森拓也)さんが綴って下さっています。当時、人気ブログでしたが、古くならないのがすごい。

西牟田靖著『本で床は抜けるのか』(中公文庫) 本と人との抜き差しならない関係を採り上げた話題の本。草森蔵書整理の取材も掲載されています。ぜひご一読下さい。

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草森紳一の蔵書は、東京の自宅マンションと北海道の書庫「任梟盧」(にんきょうろ)の2か所に保管されていました。80年代以前の著作の参考資料(ナチスや李賀、デザインや建築雑誌など)は、「任梟盧」に保管されていて、全蔵書数は約6万冊余りと言われています

youtubeで、草森紳一の書庫「任梟盧」を見ることができます。http://www.youtube.com/user/kusamori
全7本の内容は、1/7、2/7は外観、3/7〜7/7は内観です。

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◎東京の蔵書整理あらあらメモ

2008年8月2日時点での段ボール箱テーマ別数をword4枚で残していましたので、下に貼り付けます。見にくくて恐縮です。左から2P分、下へ2P分です。(2段目のナチ以下は、特別ジャンルに入ります。

整理の際のジャンル分けは大雑把なもので、図書館の分類などによるものではありません)。   ______________________________________________________________________________________

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2019年10月十勝の草森蔵書プロジェクトが、北の聲アート賞特別賞受賞!

 北の聲アート賞特別賞に

ブログ休止中だったため、遅いお伝えになってしまいました。

うれしいニュースが入ってきたのは、去年10月末のことでした。

十勝の草森プロジェクトが、北海道内の文化的な活動に対して贈られる賞「北の聲アート賞特別賞・ハルニレ賞」を受賞したというニュースです。

 

思い起こせば、東京の「草森紳一蔵書整理プロジェクト」が立ち上がったのが草森さん急逝の3か月後、2008年6月のことでした。

膨大な量の本たちを整理し、第一次目録入力を終えて、幸運にも帯広大谷短大に寄贈することができたのが2009年11月。

  (この当時のことは、リンク先のブログ「崩れた本の山の中から」   https://kusamori-lib.hatenadiary.org/をぜひ見ていただければ)

それから早や10年。大学の田中学長、吉田教授らを中心に、ボランティアの皆さんによって着実に蔵書整理活動が継続されているのを本当にありがたく思います。

 「草森通信」12号(2019年12月31日号)と新聞記事に、詳細が掲載されていますのでご覧ください。

 草森英二氏のご逝去

それから、12号には、悲しいニュースも掲載されています。

草森英二さんのご逝去です。8月のお見舞いでは、お元気そうで楽しくおしゃべりさせて頂き、娘の春香さんから、退院後は札幌で一緒に住む予定と伺っていましたので、驚きました。

 英二さんは、蔵書整理のメンバーのお一人でもあり、「草森通信」のコラムでは兄の思い出を書かれていました。まだ79歳。本当に言葉もありません。

東京での蔵書整理の中心になり、音更で英二さんとも会われている円満字さんも、とても残念ですとのこと。

「~蔵書整理作業を見守っていただきたかったです。

とはいえ、今ごろは草森先生との再会を楽しんでいらっしゃることでしょう」と。

 ご冥福を心よりお祈り申し上げます。 

 

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崩れた本の山の中から 白玉楼中の人