その先は永代橋 草森紳一をめぐるあれこれ

「もの書き」草森紳一の蔵書約3万冊は、2009年11月故郷の帯広大谷短期大学に寄贈されました。 このブログでは、以後の草森紳一関連ニュースをお伝えしていきます。写真 草森紳一

「もの書き」草森紳一の蔵書約3万冊は、2009年11月故郷の帯広大谷短期大学に寄贈されました。このブログでは、以後の草森紳一関連ニュースをお伝えしていきます。 写真 草森紳一

2019年夏、草森英二さんのお見舞いと、神谷忠孝氏の講演会に。

個人的なことで恐縮ですが、2019年はこれまで経験したことがないほど信じがたいことが次々起こり、よくぞ倒れないですんだものと思います。(疲労の極みの私に付き合ってくださった人、ヘルプしてくれた仕事仲間と娘に心から感謝です)。

 

そのような去年の夏、8年ぶりに帯広へ。帯広大谷短大草森紳一記念資料室を再訪した2011年の冬以来です。東京は連日35度を超える猛暑だったのですが、帯広に着くと気温16度! 寒くて寒くてびっくりしました。

 

親子で出かけた今回の目的は、入院されている草森英二さんのお見舞い、短大の田中学長と吉田先生にごあいさつ、草森さんの同級生だった神谷忠孝氏の講演会「日本近代文学における十勝」聴講、主のいなくなった任梟盧(にんきょうろ)の見学等でした。

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講演会当日、なんと札幌から帯広までのJRが事故で不通になり、神谷先生はかろうじて間に合ったものの、『明日の王』の嵩文彦さん他、出席できない方々が多く出たようです。そんな事情からでしょうか、草森紳一については、やや時間切れになり残念でした。

 

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十勝毎日新聞2019年8月12日付

 夕方には、回想集『草森紳一が、いた。』にも執筆して下さった懐かしい及川裕さん、吉田政勝さん、十勝の蔵書ボランティアの木幡代表、高山さん他の皆さん、それに任梟盧の今後を心配してくださっている米山将治氏(画家・詩人・神田日勝美術館初代館長)も一緒に会食。うなりながら頭を悩ませながらも、地元の方々の温かさ、関心の深さを強く感じた一夜でした。

 

翌日は、JRが動いて札幌から来ることができた英二さんの娘さんの案内で入院先の病院へ。 私は英二さんとお電話で話すとき、“不死身の人”と呼んでいました。家を継がなかった長男に代わって音更(おとふけ)の実家を守り、ご夫婦で長くお母様を介護され、お父様も看取り、そのあと、奥さん、草森紳一、お姉さんと次々に亡くされた後も泰然とされていて、「生きてるうちは任梟盧の本をずっと読み続けたい」とおっしゃって、なんとなく不死身の英二さんと思っていたのです。(門前仲町と音更と、両方に仙人がいたわけですね)

 8年ぶりの英二さんは、少しやせられたものの、不死身に変わりなく、お元気そうで、みなで1時間近く楽しくおしゃべりをしました。

 

帰京後は、再びひどい酷暑の中を事務所の移転先探し。幸運にも縁があったとしか言えない便利な場所を見つけて契約。

10月大型台風とともに、草森さんの慶応大学講師時代の教え子きなこさんがドイツから来日―――

 10月以後のことは、また改めてお伝えします。思い出すだけでも息切れがするので!

 

 

十勝の「草森通信」11号です。これも遅くなりました!

更新をお休みしていましたので、遅くなりました。2019年9月30日の通信です。

去年の10月前後は、日本中大型台風の襲来で、水害なども含めて被害甚大でした。

次から次に想像もしないことが起こるので、あっという間に忘れてしまうのは頭の予防のためでしょうか。

十勝の「草森通信」11号では、音更町図書館と帯広市図書館での蔵書展の記事が掲載されています!

執筆者には、草森紳一の親友で『明日の王』(未知谷)の共著者でもある嵩文彦氏と、草森紳一の大作『荷風永代橋』や急逝直後の出版となった『夢の展翅』(ともに青土社)の担当編集者、宮田仁氏が登場。

宮田さんからは、北海道に取材仕事が入ったので、念願の草森紳一の書庫「任梟盧」(にんきょうろ)や寄贈の蔵書を見たいのですがとご連絡をいただいていました。

現地のご案内とご説明をしてくださった吉田先生、ボランティアの高山さん、ありがとうございました。

東京での「草森紳一蔵書整理プロジェクト」の一員で、整理と目録入力にもご尽力くださった宮田さん。10年ぶりの草森本との再会、ほんとうによかった。

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あらためて、中公文庫『随筆 本が崩れる』を!

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中公文庫『随筆 本が崩れる』(2018年)

 

 昨日のブログでご紹介した「草森通信9号」に、『随筆 本が崩れる』の文庫が紹介されていましたので、あらためて再度ご紹介!

●中公文庫の付録

  2005年に文春新書で出版されて版を重ね、2018年11月に中公文庫に仲間入りしたとき、以下の魅力的なエッセイ5本が付録として巻末に加えられました。

  1)「魔的なる奥野先生」 『奥野信太郎回想集』三田文学ライブラリー 1971年

  2)「本棚は羞恥する」 室内 1972年7月号 (『狼藉集』1973年所収)

  3)「白い書庫 顕と虚」 初出調査中 (『見立て狂い』フィルムアート   

    社1982年所収)

 4)「本の精霊」  室内 1984年4月号

  5)「本の行方」 NOMAプレスサービス 1992年1月5日号

   解説「六万二千冊の「蔵書にわれ困窮すの滑稽」」平山周吉

 平山周吉氏は、晩年の草森紳一に伴走した名編集者で、新書『本が崩れる』を生み出した方。草森紳一の誕生から急逝までが、少ないページ数の中に盛り込まれていて好奇心が尽きません。

●写真は発売直後の東京堂でのパネル展示です。

入り口カフェの前面、下は店内。 

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●亡き坪内祐三さんの書評

(「週刊文春」 日付は、引っ越しのどさくさで今わかりません)

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● 『朝日新聞』の書評欄(2018年12月15日)

 コロナ禍のこの時期、 「人も樹木も、生き延びるとは」という見出しにあらためて惹かれ、朝日の書評もご紹介。 

東直子が薦める文庫この新刊!」――人も樹木も、「生き延びる」とは

   (1)『四人組がいた。』 高村薫著 文春文庫、

  (2)『随筆 本が崩れる』 草森紳一著 中公文庫 

  (3)『樹木たちの知られざる生活 森林管理官が聴いた森の声』 ペーター・

   ヴォールレーベン著 長谷川圭訳 ハヤカワノンフィクション文庫  

 

 (2)は、今にも崩れんばかりに本が積み上がっている表紙の写真が印象的だが、著者の自宅らしい。2LDKのマンションに、何万冊もの蔵書をため込み、崩れてきた本に閉じこめられて身動きができなくなる。危機的状況の中から、なぜこうなったかをじっくり念入りに思考する様には可笑(おか)しみもにじむ。昭和時代を生き抜いた博学の書き手の独自のこだわりや哲学が、文章の端々に味わえる。「空虚は、もともと東洋の最高の道徳だが、この肉も骨もなき空虚に日本人は、どう慣れ合っていくのだろう」という1999年に書かれたふとしたつぶやきのような一文に、立ち止まる。  (東直子)                                                                                            

 

 

 

十勝の「草森通信」9号と10号。遅くなりました!

更新を休んでいたためアップできていなかった北海道・十勝の「草森通信」をご紹介します!

9号は、2019年2月28日発行、10号は、2019年5月31日発行です。

文春新書「本が崩れる」が、中公文庫になってまもなくの頃でした。

草森さんの初期のマンガ本の紹介もうれしい。

弟の英二さんのコラム、北村さんの文章も好奇心を刺激されます。 

内田さんのボランティア参加のきっかけは、円満字二郎さんの講演だったんですね!

通信の書き手に新しいお名前が見受けられ、十勝での草森蔵書プロジェクトの活動が充実してきているのが感じられます。

帯広大谷短大の吉田先生、プロジェクトの木幡さん、高山さん他みなさん、ありがとうございます!!

 

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少しずつ再開します!

コロナの猛威。皆さん、お元気でしょうか。

あっという間に2020年の6月になってしまいました。

昨年の7月、予期せぬ引っ越しなどもろもろのことで、

お休みをいただいていました。 

その後、2019年秋には強烈な台風15号、19号が日本列島を襲い、

そして今年は、新型コロナの来襲。

世界中の人々が、ウィルスの恐怖の中で自分自身の命と向き合わざるを得ない

戦時下のような厳しい生活となりました。

 

自然界から人類への痛烈な逆襲とも思えるこの事態を、一体どうやって乗り越え、歴史の軌道修正をしていけばいいのか・・・ステイ・ホームの日々の中で小さな頭でクルクル考えるのですが、もちろん病院から家庭、仕事場、あらゆる現場が生きるか死ぬかの非常事態。けれど指令を出すリーダーであるべき政府の対応はあまりに他人事の遅さ。非情さ。

加えて466億円アベノマスクの不衛生、持続化給付金のトンネル会社問題に至っては、国民に対する犯罪ではと思うほど信じがたいものです。

ついつい憤りが沸き上がってきます・・・申し訳ありません。

でもこの間の、医療関係の方々の献身的なご努力、「私たちは命を救う仕事ですから」という度々テレビで耳にした言葉は、本当に目が覚める思いで聞きました。

 

皆さんの生活はいかがでしょうか。

北海道はずっと心配ですし、東京、大阪などもまだまだ気を緩めることはできません。くれぐれもお気をつけて。必ず来るという第2波、第3波の備えを考えておきましょう。

十三回忌は延期に。 

 ところで、草森紳一が2008年3月、門前仲町の自宅マンションで亡くなってから早や12年。今年は十三回忌となります。(命日は3月19日)

東京の光圓寺さんで3月14日に法要の予定でしたが、コロナウィルスの深刻さが増すばかりでしたので、やむなく延期に致しました。

20名ほどの集いになるはずで、懐かしい方々にお会いできるのも楽しみでした。七回忌の折、「散骨したのに、ど~うして寺で法要なんだ」と言われた矢崎泰久さん(元「話の特集」編集兼発行人)からも出席のご返事をいただいていたのですが・・・残念!

高齢の方もいらっしゃいますし、落ち着いて集える時がやってきますように。

 

草森関連ニュースがたまっていますので、少しづつアップしてまいります。

「崩れた蔵書の山の中から」ブログとともに、スマホでも見ていただければ。

今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

みなさま、くれぐれも、体調管理にお気をつけて、お元気でお過ごしください。

 

写真は、緊急事態宣言が解除されたあと。時には空を見上げましょう。ア、本物のクラウド

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更新が滞っていてスミマセン!

梅雨寒の日々が続きます。みなさま、お変わりございませんか?

本ブログの管理人の私が、今年初めから荒波どころか、大しけ、それも猛烈なしけ!にあっておりまして、現在もまだブログ更新の余裕がありません。申し訳ございません。

理由ですが、オフィスを置くマンションが突然のオーナーチェンジ →即、建て替え決定 →即、半年後の退去通知と、思いがけない事態が起こりました。

こちらは決算の真っ只中で、海外取材も控えており、退去日の延期を新オーナーに依頼したのですが、他の入居者たちのほとんどが承諾されていたため、やはり6か月間で退去しなければなりませんでした。

何か起こると、次々に災難が連鎖して起こるようですね。PCが強力なウィルスに感染する、親しい友人が亡くなるなど、公私ともに大変で、2度お祓いをしていただきました!

現在はとりあえずオフィスの荷物を移動させて、仮事務所暮らしです。

35年継続のオフィスですから、荷物が約180箱。そのうち草森紳一関連が、まだ70箱は残っていましてビックリでした!(全著作物、作成中の執筆リストの関連資料等々)

 

北海道の「草森通信」は続いて出ていますし、音更町図書館では、2度目の草森蔵書展も開催されました。(いろいろお伝えくださるボランティアの高山さん他みなさま、大谷短大の吉田先生、ありがとうございます!!)

また草森さんの元担当編集者の方が、この夏、念願の書庫「任梟盧」他の見学に音更を訪問なさいます。どうぞ良い旅になりますよう。

 

落ち着きましたら、ブログを再開させていただきます。

恐縮ですが、いましばらくお休みをいただけますように。

 

 

 

十勝の「草森通信8号」出ました!


北海道もとても寒くなったと思います。皆さんお元気でしょうか。
「草森通信8号」、ボランティアの高山雅信さんからお送りいただいたのが12月7日。
風邪を引いたり、年末進行などでドタバタしてご紹介が1週間遅れとなってしまいました。申し訳ありません!


写真本の展示レポートがうれしいですね。また今回は、「草森蔵書整理ボランティア十勝」代表の木幡裕人さんが書いてくださっています。そうですか、「ストレスの王、そのタフネス」の原稿を受け取られた編集者が木幡さんだったとは・・・

(草森さんの住まいは一つ手前の門前仲町でした。大昔のことですから…お会いになったのが東陽町かもしれませんね)

いろいろなご縁のつながりで、皆さまが活動してくださっているのを不思議に感じます。
草森英二さんが体調を崩されていたのに、原稿掲載はうれしい。通信になくてはならないコラムです。ご回復を心よりお祈りしております。

編集責任の北村光明さん、吉田真弓先生、皆様ありがとうございます!
 

崩れた本の山の中から 白玉楼中の人