その先は永代橋 草森紳一をめぐるあれこれ

「もの書き」草森紳一の蔵書約3万冊は、2009年11月故郷の帯広大谷短期大学に寄贈されました。 このブログでは、以後の草森紳一関連ニュースをお伝えしていきます。写真 草森紳一

「もの書き」草森紳一の蔵書約3万冊は、2009年11月故郷の帯広大谷短期大学に寄贈されました。このブログでは、以後の草森紳一関連ニュースをお伝えしていきます。 写真 草森紳一

北海道の「草森通信」4号が出ました!

東京は、桜の季節が終わり、新緑の季節が始まりました。
皆さんお元気でしょうか。

草森紳一蔵書整理プロジェクト十勝」による
「草森通信」4号が出ました!

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お知らせが遅くなってしまいましたが、
小幡さん、高山さん、内田さん、プロジェクトの皆さん、吉田先生、ありがとうございます!!
2ページですが、ますます充実してきた印象がありますね。執筆のほかにデザインや校正などに
携わってくださっている方々にも感謝です。

著作紹介欄のM・T氏の元原稿には、歌人の名前が入っていたとか。
スペースの関係上入らなかったそうですが、許可を得て、ご紹介させていただきます。

 「草森さんは、この本の「己れの無残を見むか」という一文で中城ふみ子を評している。
  郷土の歌人についての文章は、21〜22歳時に「辛夷」に載った市川よし子・大塚陽子・嵯峨美津江・野原水嶺論以来か。
  野原水嶺が下音更中で国語を教えたことから中城ふみ子を知って、街を歩いても「少年の想像力」でその存在が脳裏をよぎり、
  実家の呉服店の脇をすり抜ける時は「いたずらに足がすくんだ」と 書く。その死を知るのは新聞からで、高1の夏のことという。(M・T)」

野原水嶺(のはらすいれい)は、草森紳一の中学校時代の国語の先生でした。
野原水嶺と草森紳一については、2013年6月6日のブログでご紹介しています。
http://d.hatena.ne.jp/s-kusamori/20130606/1370511951
内田美佐子氏の評論「十勝が生んだ真の知の巨人、「草森紳一」と辛夷歌人たち」も読むことが
できます。

崩れた本の山の中から 白玉楼中の人