その先は永代橋 草森紳一をめぐるあれこれ

「もの書き」草森紳一の蔵書約3万冊は、2009年11月故郷の帯広大谷短期大学に寄贈されました。 このブログでは、以後の草森紳一関連ニュースをお伝えしていきます。写真 草森紳一

「もの書き」草森紳一の蔵書約3万冊は、2009年11月故郷の帯広大谷短期大学に寄贈されました。このブログでは、以後の草森紳一関連ニュースをお伝えしていきます。 写真 草森紳一

副島種臣の資料を佐賀へ

なかなか片付かない草森さんの原稿類やグッズ類!
久々に時間が取れ、蔵書整理を手伝ってくれたスタッフと共に整理を再開しています。

副島種臣関連は、副島種臣https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%AF%E5%B3%B6%E7%A8%AE%E8%87%A3
佐賀出身なので、佐賀県立博物館・美術館にお送りしています。
二玄社時代に草森番の編集者だったF氏もいらっしゃいますし。
その他のものはすべて帯広大谷短大への寄贈です。

副島についての主な執筆は、
雑誌『すばる』の連載「紉蘭 詩人副島種臣の生涯」(1991年7月号〜96年12月号 65回)、
雑誌『文学界』の連載「薔薇香処 副島種臣の中国漫遊」(2000年2月号〜03年5月号、40回)、
雑誌『表現』の連載「捕鼠 明治十一年の文人政治家副島種臣の行方」(2007年〜2008年、2回)でした。いずれも未完。

『表現』(京都精華大学表現研究機構編)の2回目は絶筆となりました。
2008年3月末、急逝が分かった後、赤字ゲラを探しに担当編集者の方が門前仲町のマンションに探しに来られたことを思い出します。その時は結局見つからず(赤字は反映されず)、その後、蔵書の山の上に投函の用意のされたゆうパックの封筒が見つかったのでした。

今回、佐賀にお送りしたもののリストは、

「紉蘭」の生原稿。タイトルの書体がそれぞれ異なっています。遊んでますねえ。


「薔薇香処」の生原稿とゲラです。クリックすると大きくなります。

崩れた本の山の中から 白玉楼中の人