大倉舜二さんが亡くなられたとは今も信じられない。
草森さんが1961年、婦人画報社の編集者になった時からの、
売れっ子時代も、貧乏が極まった時にも、胃潰瘍で死にそこなったときにも
いつもそばで支えた生涯の友。
草森紳一が地上30センチの浮世離れした人だったとすれば、
大倉舜二さんは大地に両足をしっかり踏みしめた熱い母性の人。
2005年に草森さんが吐血したとき、部屋の始末から入院の手はずまでされた。
「妻だけでなく、草森まで連れて行かないでくれと思ってた」と電話で言われた。
前年に奥様を亡くされていた。
写真は1981年暮れの二人。写真家の大倉舜二と、物書きの草森紳一と、帯広柏葉高校の同級生、医者で詩人の嵩文彦氏と三人でカッパドキアなどトルコを巡る旅。楽しい写真がたくさん残されている。