その先は永代橋 草森紳一をめぐるあれこれ

「もの書き」草森紳一の蔵書約3万冊は、2009年11月故郷の帯広大谷短期大学に寄贈されました。 このブログでは、以後の草森紳一関連ニュースをお伝えしていきます。写真 草森紳一

「もの書き」草森紳一の蔵書約3万冊は、2009年11月故郷の帯広大谷短期大学に寄贈されました。このブログでは、以後の草森紳一関連ニュースをお伝えしていきます。 写真 草森紳一

中原淳一の『ジュニアそれいゆ』

 

前回ご紹介した愛敬さんの文章は『記憶のちぎれ雲』に登場する中原淳一から始まるので、「ジュニアそれいゆ」をご紹介したくなりました。
これは草森さんの蔵書ではなく、私のもの。
本屋さんが「それいゆ」と大判のアメリカの雑誌「SEVENTEEN」を配達してくれるのが待ち遠しかったものだ。私はまだ小学生だった。
両親はとても忙しかったので、手のかからないしつけのつもりだったのかもしれない。
50年以上経つのにいま見てもまったく古くない。その私の宝物を迷った末に大宅文庫に寄贈した。
汚れや破損があるため恐縮だったけれど、大宅文庫には女性誌が少ないからと喜んでいただけ、担当の方にあの時代のものにしてはきれいに保存されていますねと言われてビックリした。
写真や絵の多い雑誌は、何度も何度も開かれて読まれ、ぼろぼろになっているものがほとんどだそうだ。

ちなみに1957年9月号の中味は、中原淳一のファッションイラストと洋裁のパターン、工作や手芸、料理の頁のほかに、詩の観賞、名画鑑賞、連載小説に、
「自由な教育の玉川学園を訪ねて」というルポやヨーロッパ旅行の話のおみやげ、芸術の秋だからと詳細な音楽辞典や読書案内、ひまわり少年・少女の日常の紹介、AFS留学生の「夏休みに見た日本」ルポ。
特集に合わせて、「しあわせな明日のために」と題した串田孫一のエッセイと、16名の先生方によるしあわせな明日のための助言などなど。
現在ならキャプションに使うようなとても小さな文字が278頁分ぎっしり。私は読めず、美しい絵やイラストを楽しむのが精いっぱいだった。
使命感と美意識で創られた雑誌を一頁一頁いとおしんで見たあの時代が懐かしい。

その、少女たちに美しい生き方を提示した人の背景にあった深淵。
『記憶のちぎれ雲』中の印象的なシーン。取材中の葦原邦子に向けて階段から中原淳一が放った鋭い一言が、草森紳一に書かせたのだ。

草森さんに葦原さんを紹介して、このとき同席していた写真家の大倉舜二さんは、本書を読んで「あいつは本当にオカルトだ」と言われた。

崩れた本の山の中から 白玉楼中の人