その先は永代橋 草森紳一をめぐるあれこれ

「もの書き」草森紳一の蔵書約3万冊は、2009年11月故郷の帯広大谷短期大学に寄贈されました。 このブログでは、以後の草森紳一関連ニュースをお伝えしていきます。写真 草森紳一

「もの書き」草森紳一の蔵書約3万冊は、2009年11月故郷の帯広大谷短期大学に寄贈されました。このブログでは、以後の草森紳一関連ニュースをお伝えしていきます。 写真 草森紳一

今日の不思議で木村恒久さんを思い出す

 小野暢子(のんこ)さんからお手紙をいただいた。彼女はマンガ家であり、パフォーマンス・アーティストであり、最近はアルメン・ゴデールの『能楽師』『能の庭』を訳すなどフランス語の翻訳の仕事もなさっているマルチな人。
 先月、一年ぶりにお会いした時、『草森紳一が、いた。』はぜひ読みたいとおっしゃってお持ち帰りになりました。
 お手紙は、その感想プラス、執筆者のなかに懐かしい友人たちがいた!とのお知らせ。思わずお電話すると、彼らと集っては新宿に繰り出し、お酒を飲んで議論ばかりしていたという60〜70年代の話になりました。サブカル全盛の時代ですね。

 「〜上野昂志と木村さんが"美学校″にいて〜〜小野(雄一氏)と友達だったし、いつも酔いつぶれるまで議論」「エッ、木村さんて木村恒久さんのことですか?」「そう。亡くなったけど、木村さんの本はいつも手元に置いてるわ」「それって『キムラカメラ』?(パルコ出版) 私が担当だったんですけれど!」「え〜〜っ!!」

 のんこさんとは20年近いお付き合いになるのに全然知らなかった…
 上野昂志氏は『ガロ』や映画関係の本など、幅広い分野で活躍の評論家。木村恒久氏はデザイナーで都市論の尖鋭な理論家であり、フォト・モンタージュの作家です。
 私は木村さんの担当者というだけでなく、ご夫妻には公私ともにお世話になりました。
 木村さんと草森さんと言えば必ず思い出すことがあります。

 ある夜、電話で木村恒久さんが唐突に(いつもです)、「着物の柄は、東京は幾何学で京都は花模様ですね。どうしてかなと思うんです。〜〜〜〜〝芸術″という言葉はなかったんやね。1900年の"パリ万博″で生まれた言葉だって、びっくりしたなあ。日本では"用の美″というでしょう。江戸が明治にかかった時、どうなったか。草森さんに聞いてもらえませんか」。
 30年前のことです。質問者のインパクトと質問のおもしろさばかりが印象に残り、草森さんに尋ねたのかどうか……

 もう一つは、『キムラカメラ』の構成案がボツになったときのこと。木村さんご自身が、束見本にモンタージュのコピーをババッと張って順序を決めたものでした。「すごく過激で恐いほど」と草森さんに話すと、「過激が木村さん。そのままにしないといけない。構成は残ってるの?」。憮然とした調子で聞かれましたが、時すでに遅し。私はバカでバカでバカだと(今もですが)情けなく、この時のことは強い戒めとなって心に残っています。
 幸い再構成案は木村さんの気に入っていただけたのですが、本というものは商品か作品か、編集者は作家と出版社のどちら側に立つべきかを深く考えさせられるきっかけになりました。

 それにしても小野夫妻と木村夫妻がとても親しかったなんて! アングラの60年代とバブルの80年代の間に挟まれた、実験精神あふれる70年代。ジャンルを超えてみな刺激しあい、学びあった熱い時代の恩恵をほんの少しは私も受けて現在があると思ったことでした。

              (今日はアナログからデジタル放送に移行の歴史的な日とか。私などはアナログにしがみついていたいのですけれどねえ…)

崩れた本の山の中から 白玉楼中の人