その先は永代橋 草森紳一をめぐるあれこれ

「もの書き」草森紳一の蔵書約3万冊は、2009年11月故郷の帯広大谷短期大学に寄贈されました。 このブログでは、以後の草森紳一関連ニュースをお伝えしていきます。写真 草森紳一

「もの書き」草森紳一の蔵書約3万冊は、2009年11月故郷の帯広大谷短期大学に寄贈されました。このブログでは、以後の草森紳一関連ニュースをお伝えしていきます。 写真 草森紳一

2011年大震災直後に開催された吉川英治賞の授賞式から

 今日は東日本大震災から四十九日に当たる。亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。


 4月11日、東日本大震災の日からちょうど1ヵ月に当たる日だったが、新潮社の寺島哲也さんに誘っていただき吉川英治賞の授賞式に出かけた。文化賞を受賞された笹本恒子さんに「おめでとうございます!」を言うためだ。
 大昔、渋谷のドイフォトプラザで開かれた笹本さんの写真展を見て「本にしましょう!」と会いに行き、『ふだん着の肖像 昭和20−30年代を彩った100人』を作らせていただいたご縁がある。版元は新潮社、担当者が寺島哲也さん。帯に「日本の女性報道写真家第一号」とうたい、本書が笹本恒子さんの最初の単行本になった。およそ20年以上前のことだ。

 授賞式は帝国ホテルで開催された。出席者は300名を十分に越える大盛況。主催者側のごあいさつによれば、現在も余震が続く状態ではあるけれど、文化の重要さと活性化という思いをこめて、あえて中止にしなかったという。

 吉川英治文学賞森村誠一氏(『悪道』)、新人賞に辻村深月氏(『ツナグ』)。
 文化賞は5名で、宇梶静江氏(アイヌ文化の伝承)、木村若友氏(浪曲師。伝統文化の継承)、具志堅隆松氏(沖縄での戦没者遺骨収集)、斎藤晶氏(蹄耕法による乳牛飼育)、それに笹本さんだった。それぞれの方のスピーチはさすがだったけれど、なかでもアイヌの宇梶さんと、自然を生かした牧場を作り上げてきた斎藤さんのお話には心打たれた。

 「人間の力などは本当に小さいもので、結局自然のことはわからないのだ。畏敬の念を失ってはならない。日本全体を美しい農場に」。
 揺れる会場で聞いた言葉。過酷な現場で生きてきた人ならではの説得力があった。

 笹本さんは、昔と全然変わらない華やかな声。「〜〜まだまだやりたいことがあります。今日の皆さまのお話を伺って、ぜひ取材したいと思いました」とキリッとごあいさつ。『ふだん着の肖像』を編集していた頃には教えていただけなかったけれど、お年は96歳!

 ファンに囲まれ、大忙しの笹本さんを見て、寺島さんと「お疲れが出ないといいけれど・・・」と言いつつ失礼したのだけれど、翌日お昼前にお電話をいただき、「二次会の場所もワインも用意していたのに、お二人とも見つからなくって」と言われてギャフン!
 う〜〜〜ん、まだまだがんばらねばなりません。

 笹本さんは草森さんに会ったことがない。『ふだん着の肖像』が出たあと、「草森先生が日曜美術館に出ていらっしゃるのを見ましたよ」とお電話をいただいた。
 草森紳一は、1989年5月28日の「NHK日曜美術館」で山形県酒田市にある土門拳記念館の案内役として出演している。 
 草森さんは対談も、講演会も苦手。テレビなんて断固おことわりだったけれど、土門拳の弟子で初代館長の三木淳氏(報道写真家・日本写真家協会三代会長)から依頼があったとき、「土門さんは、今も寝たきりなんです」の最後の一言で、お引き受けしたと聞いた。

 脳出血を繰り返し半身不随になりながらも『古寺巡礼』などの撮影を続けた土門拳は、1979年から昏睡状態になり、1990年に亡くなっている。
 土門拳なら、このたびの大災害と原発にどんな視線を向けただろうか、と思う。
               

崩れた本の山の中から 白玉楼中の人