雪の日のトークからまだ1か月も経たないのに、
桜の季節へ、新緑の季節へとせわしなく時が過ぎていきます。
前回3月30日付けブログで、草森紳一の蔵書整理は200万ほどで済みましたと書いてから、10年前のいろいろなことを思い出しました。
もともと200万の予算があって、それを頼みに作業を始めたわけではありません。私たちにとってはとても大きな金額です。
草森さんは突然に亡くなったので、葬儀、家族との事務的なこと、お墓のことなど想像もしなかった現実が矢継ぎ早に押し寄せてきました。
そんな時、草森さんの友人たちに真っ先に聞かれたのが、「蔵書をどうするのか」ということでした。
草森さんの親友は、「俺がトラック呼んで全部捨ててやるよ。大鉈を振るわなきゃあ、マンションの家賃が大変だ」
別の古い友人は、「草森の残したものは、紙一枚だって捨てたらいけない。お付き合いのあった出版社の倉庫に保管してもらったらどうなの?」
またほかの友人は、「貴重な本があるはずだから寄贈先を探して買ってもらえばいい」などなど。
様々な意見がありましたが、歩くことさえままならない瓦礫の山のような部屋の入り口で呻吟するばかり……。
一体どんな本が、何冊あるのかさえ分からないのです。息子さんが古本屋に勤めていたので、彼に委ねてしまいたいところでしたが、自前の保管場所がなければ到底無理との返事。結局、「まずは蔵書整理をしよう、それで全部が無理なら大事な本だけでも寄贈先を探そう、できれば買ってもらいたい」という結論に至ったのです。
当時、書籍のデジタル化が話題になり始めていました。私自身は、草森紳一という物書きが膨大な本の中で亡くなったことは、時代のターニングポイントを象徴する出来事のようにも思え、書き込みや傍線など手の痕跡が多く残る「書物」という実体を絶対に残さねばと思ったのです。
冊数が分からず、費用がいくらかかるのかもわからず、寄贈先の目あてもなく、何もかも予測不可能な状態からのスタートでした。
門前仲町のマンションから蔵書の引っ越しをしたのは、亡くなってから3か月後。紫陽花が美しい季節でした。
広い倉庫を借りられたことや担当編集者の方々の協力があったことなど、蔵書整理が前向きに動き出したことは本当にありがたいことでした。
この頃、草森さんの古い友人のプロデューサーの方から「草森本による草森紳一展覧会」の企画のお話や、ボランティアの知人からは新設の図書館か地方美術館でのユニークな本の展覧会の打診などが来ていましたので、蔵書整理の経費がまかなえればうれしいナ!と期待もしていたのですが、「膨大な蔵書」というイメージのみが先走っていたのか、実現には至りませんでした。
私自身は、ちょうどこの頃、翻訳書が出たばかりのアルベルト・マングェルの『図書館 愛書家の楽園』(白水社)を読んで、マングェルを招聘して任梟盧にも案内して「本と人」についてのイベントができないだろうか、任梟盧も保存していきたいと無謀にも考えたりしたのですが(夢想ですね!)、遠距離介護の日々のうちにあっという間に年月が経ってしまいました。
もし、蔵書の持ち主である草森さん自身が存命中に整理をできていたら、自前の保管場所があったなら、費用はあまりかからなかったことでしょう。
でも、皆さんが心配した古本屋からの借金はほとんどありませんでしたので、良しとしなければなりません。それに息子も娘も反対をせず同じ意見だったのですから、本当に良し!でした。
2008年の急逝から10年を経て、やれたこと、やれなかったこと、いろいろ考えますが、200万の出費より、蔵書整理という活動で得た不思議な日々と友人たちが、なにより大きな宝物になったと思っています。
写真は、2008年蔵書整理の日々。休憩時間のおしゃべり。プロデュサーがリサーチに。ジャンル別の段ボール箱など。