その先は永代橋 草森紳一をめぐるあれこれ

「もの書き」草森紳一の蔵書約3万冊は、2009年11月故郷の帯広大谷短期大学に寄贈されました。 このブログでは、以後の草森紳一関連ニュースをお伝えしていきます。写真 草森紳一

「もの書き」草森紳一の蔵書約3万冊は、2009年11月故郷の帯広大谷短期大学に寄贈されました。このブログでは、以後の草森紳一関連ニュースをお伝えしていきます。 写真 草森紳一

3月21日B&Bトーク当日、東京・下北沢は雪でした!


早いものでB&Bトーク「物書きにとっての蔵書と家族 『本で床は抜けるのか』文庫版刊行記念」http://bookandbeer.com/event/20180321_hon-nuke/から一週間余り。
3月21日春分の日は、朝起きると雪。世田谷は気温2度で、夕方には雪が雨に変わり、猛烈に寒い一日でした。そんなお天気の中、30名ほどだったでしょうか……足を運んでくださった方々に感謝です。
公の場で草森紳一について話すのは初めて(北海道は別ですが)。仲俣暁生さんが「昨日は草森さんの命日だったんですね」の一言で、一気に10年前の記憶がよみがえり「いえ、本当の命日は19日らしく……」と余計な話をしてしまいました。
その後、西牟田靖さんの『本で床は抜けるのか』の発端から文庫版出版に至るまでのこと、取材で出会った個性的な人たちや、蔵書問題の直撃を受けた著者自身の顛末など…本と人との間の隠れたドラマが見え隠れする、興味のつきない話がありました。

後半は、草森蔵書プロジェクトの話。
クラウドファンディングで寄付を募るとしたら、500万あれば大丈夫ですか?」と聞かれましたが、うなってしまい応えることができませんでした。
60年代以後の貴重な現代演劇ポスターの収集を続け、海外展示の実績も持つポスターハリスカンパニーが、去年の夏、保存のための支援金150万をクラウドファンディングで集めようとしてダメだったことを思い出したからです。
いま落ち着いて考えると……三万冊の蔵書に対し300万くらいあれば安心でしょうか……
大雑把に、運送費と整理人件費100万、倉庫代(家賃)100万、目録入力代等100万――と考えて。
草森蔵書の場合、運送代と倉庫代がかさみましたが、人件費はほとんどかからなかったのと、寄贈先が1年後には決まったため200万程度ですみました。
何より大切なのは、中心になって働ける人、3人(〜6人)。無償で協力を惜しまず、根気があってあきらめず、多少は専門的知識のある人が必須です。
草森蔵書のボランティアの人数は、週末2日の実働で、蔵書整理(2008年6月〜8月)のべ約200名、目録入力(9月末〜2009年4月末)のべ300名ほど。
草森さんの急逝で、編集者と遺族の気持ちが一つになり実現した特殊なプロジェクトだったと言えるでしょう。

西牟田さんは本と家族について、仲俣さんは蔵書の課題や作家草森について、私自身は青春映画にでもなりそうな蔵書整理の日々について、語りたいことが沢山あったと思うのですが、あっという間に2時間が過ぎて時間切れでした。

終了後にいただいた参加者の言葉が印象に残っています。
「草森さんの蔵書の分類、夢、穴、橋などがあっておもしろいですね。図書館の分類法とは別の良い方法はないかと考えているので参考になります」(大学で図書館・情報学を教える女性)
「草森本を全冊そろえました。でも、阿倍仲麻呂(『夢に帰る』)だけはどうしても見つかりません。僕は草森紳一と久生十欄の二人が一番好きです」(30代?の大阪の青年)
また元東京創元社の伝説的編集者でミステリ界の功労者、戸川安宣氏がのぞいてくださったことは大変光栄でした。6万冊の蔵書の目録を自力で作成し、成蹊大学に寄贈なさったいきさつは、大著『ぼくのミステリ・クロ二クル』(国書刊行会)に書かれています。紀田順一郎氏の『蔵書一代』(松籟社)と共に大事な本です。

本は資料であると同時に、読む人の心に寄り添う大切な師であり友のようなもの。魂を形成してくれるものですね。
デジタル化が進み本の形態が変容していくにせよ、本を書く人はなくならないし、読む人もなくならないだろうと思います。
仲俣さん、西牟田さん、脱線気味の私をうまくリードしてくださってありがとうございました。
『本で床は抜けるのか』(中公文庫)売れますように!

崩れた本の山の中から 白玉楼中の人