8月15日は相変わらずの酷暑。それでも森岡書店に、回想集の筆者の方など何人かが足を運んで下さいました。
BGMもなく沈黙の時間だけが流れる店の中で、壁の写真も、箱の中の自写像も、多くの著作もじっくりと見て下さった方がおっしゃいました。
「草森さんは筆で原稿を書かれてましたが、どんな筆でしたか?」
一瞬、絶句。
草森さんが亡くなり、密葬の当日、永代橋のマンションから編集者の方が持ってきて下さった数本の筆は、そのままジョジョ(『ジョジョの奇妙な冒険』荒木飛呂彦作)の本などと一緒にお棺に入れて火葬してしまったのです。当日は考える余裕もなかったので後で残念に思ったのですが、ですからどんな筆だったのか、ほとんど記憶にありません。
聞いて下さった方は、なんと『QJ』で連載中だった「記憶のちぎれ雲」の生原稿を編集部から依頼されて入力していた方とか。
「筆にふくまれた墨がなくなるまで書き続けようということだったんでしょうか。かすれても書いていたから」
つまりは、読解が非常に困難だったということでしょう。しかも原稿が手に入るのは締め切りをとっくに過ぎたころでしょうから、読みにくい生原稿、しかも筆文字!を判読しつつ入力し、期日に間に合わせるのは神経をすり減らす仕事だったと思います。怒りにかられながら入力なさっていたのかもしれません。
「草森紳一とはどんな人間なのか」、それを知りたくて来たということでした。
蛇足になりますが、記帳ノートに近藤正高さんの名前を見つけて「あ、近藤さんも来てるんですね。近藤さんのエキサイトブログ(「整理なんかいらん! 断捨離とは正反対、草森紳一という生き方」)を読んで、回想集を買って、で、今日来たんです」と。
ちょっと大柄の、無頼派スポーツマンという雰囲気の方でした。
今日はお盆。散骨の日を思い出しながら一人で永代橋を渡って帰ろうと思っていたところ、娘の友人が写真展をのぞいてくれました。なんとまあ、彼が最近引っ越したマンションが、草森さんと同じマンションだったというのです。
お盆の夜。二人で一緒に永代橋を渡って帰ることになりました。